小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの咲く頃に その42

その年の7、8月ほど、長く感じられた年はなかった。 壁にぶら下げられたカレンダー。7、8月のページ上半分の写真はどこか外国のリゾート地なのだろう、真っ白な砂浜。真っ青な空と海が広がっていた。だがその下半分、ほとんどは黒インクの数字で埋め尽くされ、赤色は日曜だけだった。あたりまえな話ではあるが、 (去年までは真っ赤な夏休みだったのに)と、カレンダーを見るたび何度も恨めしくため息をついたものだ。 しかも一般の会社ならば(お盆休み)があり、4、5日は連続して休みを取れる。 だが海外を相手の商社には(お盆休み)という習慣など一切なく、船場商事とて例外ではなかった。 会社として、原則はカレンダー通りなのだった。 ただ、正確に言えば。。。職場単位で調整し、夏季期間中は土曜日曜祝日以外に、五日の休みを取ることを許されてはいた。(というより組合側と会社との約束ごとなのか、なかば強制的ではあった)むろん、年輩者や地方出身組は、暗黙の了解で(お盆期間中)の取得を優先させたのはいうまでもない。 入社二年目の前村や、新人の僕などは当然のようにお盆期間中の出勤組に振り分けられた。
「盆の期間中の混雑ぶりはうんざりや。旅行に行くならお盆の前後に限るで、宿泊代も安うなるし」 そういう横山と同じ考えの方が営業第三課には多くいた。 世間ではお盆休みに突入し、ガランとした地下鉄を乗っての日だった。長崎出身で帰省した課長の川村は別とし、ここ第三課だけは普段と全く変わらない光景をみせていた。 「近江舞子が逆転勝ちや。三回戦進出や」 皆より遅めの昼食に出かけていた横山が、満面の笑顔で戻るなり皆に報告した。 「うわあー、ほんまか!」「えー、あんなに負けとったのに」 得意先や仕入先からの電話も一切鳴らず、やけに静かだった職場が一気に活気づいた。 お目付け役の川村も留守と云うことで、皆、一斉に横山を取り囲んだ。 「ワシんときは2対7で負けとった、それも7回や、こりゃもうあかん。そう思うて出てきたがな」 横山と同年輩の三田村がくやしがった。なぜか社内に居る時はサンダル履きなので、皆から(サンダーソン)と呼ばれていた。 「あー、奇跡の逆転の理由はそれや。サンダーソンが出て行ってくれたおかげちゃうか?」横山が茶化した。 「ワシは疫病神かい」 「はは怒るなて。しかしまあ、嬉しいわ」 「けど次の試合も”胃”痛くなりそうやな」 「ああ、けど今年はなんやかやと楽しみが増えたわ」 「ほんまほんま」 高校野球夏の大会、滋賀県代表の近江舞子商業の話題で盛り上がった。 もちろん関西のチームというよしみもあっただろう。だがそれ以上に営業三課としてはあのビワンコTシャツの一件以来「近江舞子」と言う校名に対し、並々ならぬ親近感を抱き、一回戦からずっと応援を続けていたのだった。 喜びの輪に参加しながら、あの風雨の中、前村と歩いた近江舞子湖畔の光景を想いだしていた。まぶたの裏に広がるそれはたった二ヶ月ほど前のコトなのにとてつもなく懐かしい。やがて、しごく当然なように前村を目で追った。 同じ思いだったのだろう、彼女も僕の方に視線を向けるところだった。お互い視線が合うや、あの日を振り返るように、こっそりと笑顔でうなずきあった。。。 それは居酒屋”案山子”以来だからおおよそ10日ぶりに見る彼女の笑顔でもあった。 ・・・・・・・・・・・・・・ 「高1から思い続けてた人だったの。。。」 夜の9時をすぎたばかりと言うのに閑散とした地下鉄のホームだった。 列車を待つベンチでぽつり、前村が言った。 「え、じゃあ船場商事入社は彼が居たから?」 前村は何かを思い出すように、こくりとうなずいた。 高校1年の夏。デパートでのアルバイトがきっかけと言う。大学の4年生だった君塚から何かと声をかけられバイト期間中はもちろん、その後もしばらく交際が続いたという。交際と言っても映画や美術館へ一緒に行く程度の淡いもの。 やがて君塚は卒業し、入社が決まっていた船場商事に。。。 交際は途切れたが、前村ひとり思い続けていたという。 ――――(よく似た話じゃないか) 不意に長沢雅恵を思い出してしまった。―――――― そのとき、ようやく列車が来た。だが前村は立ち上がろうとはせず、ベンチでうなだれたままだった。続きが聞きたかったのもあったのだろうけど、僕も座り込んだままに居た。。 プシュー 扉が開き、数人が降り、階段から駆け込んできた若いサラリーマンが一人飛び乗った。ホームにベルが響きドアは音をたて閉まった。そして何事もなく列車は離れていった。再びホームは閑散と静まり返った。 「前村が入社したのは彼知ってたんやろ?」 「ううん」かぶりを振った。 「え?そんなぁ・・・」 「じゃあ再会は君の方から?」 「朝の地下鉄ラッシュ、あれには耐えられないって前に話したよね。それで入社3日めに思い切って早起きしたの。。。そこで偶然、退社の彼と・・・」 「運命の再会って奴か」 前村は口をつぐんだまま頷いた。 もし、僕が君塚の立場だったら。。とまたもや長沢雅恵の顔が浮かんだ。 「彼、驚いたやろなぁ。けど勤務時間帯が違うから逢える機会て、ほとんど無いに等しい。。」 「・・・・・」 あ、と気付くものがあった。 唯一 逢える時間帯は、君塚が退社するその時間帯。つまり前村にとっては早朝出勤。。。その酷とも言うべく時間帯だけだ。 (献身的な前村のコトだ。思い続けてきた彼にしてあげられるモノ・・・それが毎朝の手作り弁当・・・) 「まさか結婚されてたなんて・・・」 独り言のような、消え入りそうな小さい声だった。 「知らんかったんか?」 「。。。。」 もちろんと云うように、無言でうなづいた。 「いつも何時に起きてたん?」 「4時・・」 「んなあ」 またもや涙がこみ上げそうになった。 こんな話て、小説やドラマで読んだり観たことない。 (なんとまあ、朝の早くから無駄なコトを・・・)と 言いかけ、はっとつぐんだ。 そんな事を言ってしまったら、彼女が今までしてきた事すべてを否定することになる。 机掃除のあと、前村はさまざまな本を読んでいたのを思い出した。 「けど、おかげで他人より多くの本を読めたやん」 そう言うと、少し目を輝かせ、僕をみつめうなづいた。 ジャンニのプロジェクト会議で商標問題が議論になった時だって、大卒の社員以上の知識を披露した。 「奴のこと、直ぐには無理やろうけど、忘れるしか仕方あらへんやん」 「・・・・・・・」 両手で顔を覆ったままうなずいた。 思わず、前村の震える肩を抱いた。 瞬間、前村はギクッと反応したが、肩を抱かれるまま じっとしていた。 瞬間、石坂美央の顔が浮かんでしまったが、 (ま、今夜は事情がある)と自分を言い聞かせ 次の列車が来るまで、その姿勢のままいたのだった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 暑くて、長く さまざまな出来事があった夏も、ようやく終わりを告げようとしていた。 つづく ※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名 、地名、などが出現しようとも 一切の関係はございません (-_-;)