小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの咲く頃に その46

そのビルは心斎橋百貨店のすぐ裏にあった。 だが、華やかな照明に彩られた百貨店とは対照的に、ひっそりと佇む古びた建物で、老朽化が進んでいるように見えた。一階にはこれまた古ぼけたビルに似つかわしい喫茶店があった。喫茶店と断言したのも、喫茶なんとかと言う英語の店名のステッカーが張り付けてあったからで、そのステッカーは所どころはがれ落ちていた。(営業中)の看板も出ておらず、中を覗き込むことの出来ない木製のドアでは、休業中なのかどうかすら分からない。 時計を見た。6時半。 「あ、その泉佐野駅からやと、6時半には着きますわ。上村ビル。えぇ心斎橋百貨店のすぐ裏です、そこの3階。じゃあお待ちしてます」 自信満々に木内社長が言った通りだった。断言したとおりに着いたのは感動モノだ。 だが、エレベーターなど当然なく、薄暗い階段を昇った。 その時、階段を香ばしい珈琲の香りが立ち上ってきた。(あの店、営業中なのか) 2階と3階との踊り場にクラフト紙で包まれた束が山積みになっていた。刷り立ての新聞でもギッシリ詰まっているのか、インクと紙の匂いが漂った。ふと5年前を思い出した。高三のちょうどいま頃だった。文化祭の準備で新聞部の作業場を10日ほど借り切り、ガリ版作業に明け暮れたのが懐かしい。 繊維ジャーナル。おそらくアパレル業界でこの新聞の名前を知らぬ者など居ない。それほど業界紙の中でもトップクラスの発行部数を誇っている。 てっきり大新聞社のような白亜の自社ビル。大理石フロアーの受付けロビーには女性社員が二人ほど座っていて。。。そういった想像との落差に戸惑いながら、3階のドアをノックした。薄っぺらいそれは錆が出ていた。 「森野さんですね、お待ち申し上げておりました」 何かの作業中なのか、軍手に薄いジャンバー姿の女性が出迎えてくれた。
5、6名の社員たちは新聞の封筒入れ作業の真っ最中だった。 「お邪魔します。すみませんお忙しいところ」声をかけながら傍らを通った。 案内の女性が「こちら船場商事の森野さん」と紹介してくれた。すると 「え、船場商事さんがわざわざ、ウチに」と一斉に顔を上げ、 「ジャンニの出足、好調ですね、アチコチから噂を聞きます」 と、口々に声をかけてくれた。 「えぇおかげさまで」 皆さまの好意的な記事のおかげです。と口にまで出かかったとき、 彼らはまた、黙々と作業に没頭し始めた。あとの言葉は言いそびれた。 「すみません、何しろ時間が・・・」 案内の女性が気を利かした。 「こんな時間に発送なのですか」 「えぇ、遠方の分だけですけど」 「郵便局て、もう閉まってるのでは?」 「本局なら7時半まで持ち込めば大丈夫なんですの、すぐ裏に」 「え、そうなんですか。でもあと一時間。。。どうもすみませんお忙しい時に」 「あ全然、気になさらないで、毎週水曜の夜は毎度のコトですから」 どこか歌うような澄み渡る声だった。 作業場を兼ねた事務室を横切り、ようやく奥の応接室に案内された。 それにしても、表からの見かけ以上に、中は広々としたビルだった。応接室横にも部屋が2、3ある。 「いやあ森野さん、よくぞ来てくれました」 待つこと1分。木内社長が満面の笑顔で入ってきた。いつもはお洒落なスーツだが、ノーネクタイに作業服のような上着を引っかけていた。 社長みずから作業でもしていたというのか。 「申し訳けありません、お忙しいところ」 恐縮しながら立ち上がりお辞儀をした。 「このような所でびっくりされたでしょう」 「いえそんなコトないです。。。お忙しいのに本当に申し訳ございません」 「はは。さっきからそればっかり。僕はこの通り何もするコトあらへん。しかしまあホンマ、よう来てくれたありがとう。船場さんの方から来てくれたのは広報の三宅さん以来かな」 訪問したことがよほど嬉しかったのか、木内社長は何度も礼の言葉を口にした。 「いえこちらこそです。ところで社長の仰られた通り、ぴったり6時半に着きました。さすがですね」 「はは、伊達に歳は取ってませんよって。あの方面やと原田社長の所からの帰り?」 「え、えぇ・・・それで相談と言うのが原田社長。。。」 その時、軽いノックがし、先ほどの女性がお茶を運んできた。作業ジャンバーと軍手は脱ぎ、ジャケットに着替えられていた。 「どうぞ粗茶ですが」 「ありがとうございます」 見るとはなしにふと胸の名札に目が行った。 木内。。。順子。。。 僕の目線に気付いたのか 社長が 「森野さん紹介します。こちら木内順子。社長室室長をやってもろうてます。大層な肩書きですけど、対外的に必要なので。ま秘書みたいなモノです」 「ようするに何でも屋ですの」 微笑みながら名刺を差し出してきた。 どことなく田代ひとみの面影があった。 「先ほどはどうも失礼しました。森野と申します」 すると 「国光常務がいたくお気に入りのエース」木内社長が紹介してくれる。 「いえいえとんでもないです。で、あのぅ、失礼ですが、木内社長様のお嬢様?」 「じゃじゃ馬娘で困ってます」 「まぁ失礼な」 と、木内順子は社長を睨んだ。が目は笑っている。 僕を振り返り 「国光様をはじめ船場商事様には本当にお世話になっていますの。森野さまも、どうかよろしくお願いします」 と、深々と頭を下げられた。 「いえこちらこそ」 「ではごゆっくり」と言い残し応接室を出る。 彼女の背中を見つめながら やはり国光親子のことが脳裏をよぎった。 ("あのコト”はご存じなのだろうか、あとでついでに訊いてみよう) 「あ、中断させて申し訳ない。で、泉州アパレルで何か問題でも?」 「えぇ実は、ジーンズ。。。。。。」 見てきた機械のコトや、原田社長から提案を持ちかけられた事など一部始終、すべてを話した。 川村課長や横山先輩の顔が浮かんではいたが、社に持ち帰って報告する前に、専門家としての木内社長の意見がどうしても訊きたかったのだ。 「なるほど、クラッシュですね」 「え、クラッシュ?」 「クラッシュジーンズと呼ばれてる奴です」 「じゃあすでにマーケットとして存在するのでしょうか」 「まあ海外ではね。発端はヨーロッパあたりですが、もちろん本家のアメリカ、そうニューヨークあたりでブームの兆しが出ています」 「でも新品をわざわざ。。。」 「失礼ですが、森野さんジーンズは?」 「はぃ、あまり好きではない方ですが、それでも何本か持ってますし、たまには履きます」 「はは、なるほど。あまり好きではない。。。ズバリ、窮屈感とゴワゴワ感が苦手なんでしょう」 「えぇ・・履きつぶす頃に、ちょうど良くなるんですが新品の時など、あのゴワゴワが嫌で嫌で。。。」 あ、と気づくモノがあった。 「でしょう。彼らとておそらく万国共通の悩みです。デニム生地は丈夫が取り柄なんですが、新品のウチはどうしても違和感がある。そこで彼らの発想が凄いのは、じゃあサラ(新品)のウチからでも(エイヤーっと、ヨレヨレの感じを出してしまえ。それには何度も洗濯したり軽石などで擦るしかない。あ、それとヴィンテージてご存じですか」 「いえ、何ですのそれ」 「ま、平たく言えば復刻版ジーンズ。6、70年前の古いジーンズがマニアの間で人気を呼び、数十万円で取引されるコトもあります」 「えー。数十万円!?一本のジーンズがですか。。」 耳を疑った。 「信じられないでしょうけど、実話です。それで本物に手が出ない若者の間で、ヴィンテージモノの風合いを新品ジーンズに仕立てあげるコトは出来ないだろうか、そういう発想から始まったと言う説もあります。手間は掛かるが需要があるなら製品として売りだそう。おそらくですがそういうコトや思います」 「なるほど。。。じゃあ日本でも?」 「すでに、ごく一部のマニアの間でそう言う動きはありますね。ただ。。。商売となると」 茶で一口湿らせ 「日本の場合、国民性が邪魔して時間が掛かるでしょうね」 「国民性と申しますと」 「日本人が新品に要求するモノ。。森野さんだってそうだと思うのですが、傷ひとつないモノこそ新品の値打ち。そうお思いじゃないですか」 「ええ、たしかに」 「また昔からモノを大事にする習慣がイヤと言うほど身に付いていて、新品のうちから汚したり傷付けるなんて、なんていうか(もったいない感)そういう感情が支配するでしょうね。 それに(加工賃でジーンズごとき、値段が高くなるんやったら自分で加工してしまおう)そういう人の方が、日本ではまだまだ多いのではないでしょうか」 「なるほど。。。」 言われてみると、確かにそういう気がする。 「しかしまぁ・・・」 「はぃ」 「面白い発想ですね、原田社長。機械作業で手軽に、効率良くクラッシュジーンズが格安に仕上がるとすれば。。。海外のそれは手作業もあるのでしょうけど、べらぼうな価格をつけてます」 「べらぼうと言いますと?」 「一本2万から3万するなんてのは序の口で」 「えー、あのボロジーンズがですか」 一瞬我が耳を疑った。 「それほど手間が掛かるものなんです。それに先ほど申し上げたヴィンテージに比べりゃ安い方です」 「しかし。。まぁ」 「森野さん、確かに日本ですぐにブームになるか、そう訊かれれば、しばらくは無理でしょう。先ほど申し上げた理由で。ですがあと20年もすれば21世紀を迎えます。おそらく私らが想像も付かないようなモノがブームになるやも知れません」 そう言って 僕の目を見据え 「森野さん、上司の理解と承認が必要でしょうけど、原田社長が他社に声をかけないうちに何らかの手は打っておいても損はない。そういう気がします」 「例えばジャンニブランドでクラッシュジーンズの追加とかでしょうか」 ジャンニ事務所の若いデザイナーの顔を思い浮かべた。 しかし木内は 「いやいや。ジャンニビアンコ。。。それは無いですね、もっと若くカジュアルな、少しくだけたというか、尖(とん)がったというか、そういうブランドの方が合うでしょう。 いっそセンシュウ・ハラダブランドでも立ち上げたらどうです。 ま、これは冗談ですけど」 そう言って木内は笑った。が、数十年の時を経てその笑い話が実現するコトになるのだが。----その話はいずれまた。 「しかしまぁ、木内社長の情報力の凄さには毎度ながら感心されっぱなしです」 そう言うと満面の笑顔を向けながら 「森野さん、何故や思います」と訊いてきた。 「さぁ・・・外国の雑誌や新聞を丹念に読むとか?」 「まぁ、それも確かにあります。でもすでに活字になった時点で過去の情報です。もっと身近な場所に。生きた情報の宝庫が」 「この近所に?あ、隣の百貨店」 「はい正解です。10時の開店と同時にほとんど毎日です。日課のように売り場を歩く。それだけで世間の流行とか体に沁み込んで来ます。それと、このビルの1階。。喫茶店にお気づきになられました?」 「えぇまぁ」返事をしながら、古びた店を思い出した。 「じつはあの店、百貨店従業員の隠れ家みたいなモノなのです。昼時、あるいは夕方ごろ、店の隅でぼーっとしてるだけでも、彼ら彼女従業員らの生々しい声が聞け、凄く勉強になります」 そう言って 何かを思い出したように笑った。 「なるほどどうも。色々ありがとうございました貴重なお時間を。貴重なご意見をありがとうございました。大変勉強になりました」 感謝を言いながら時計を見た。8時前。 え、と叫びそうになった。すっかり長居をしてしまった。 すると 「森野さん、今夜は直帰なのでしょう」 「えぇまあ」 「8時に国光常務とメシの約束してるんです、ご一緒にどうです」 「え、国光と」 「久しぶりです。夕方に彼の方から連絡がありました」 「そうなのですか」 「ですが、何となく声にいつもの元気がなく、それで僕の方からメシでもと誘ったのです」 「じゃあ僕などお邪魔しない方が」 「いえ、国光常務はいつも貴方の名前を出されます。よほどのお気に入りなんでしょうね。僕も、今夜は森野さんが横に居てもらえたらなぁ。何となくそう思ったときに貴方からの電話だったのです」 「えーそうだったのですか」 つづく ※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。 (-_-;)