小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの咲く頃に その53(最終回)

「あー、その香り。。。またあの女(ひと)と一緒だったでしょ」 病室に入るなり美央が口をとがらせた。

「またぁ。少し打ち合わせをしてただけやん、談話室狭いから香りだけが移って」 「あ、真剣に反応するその顔、怪しすぎ。キャハハ」

ひとしきり僕をからかったあと、ベッドから体を起こそうと毛布を下げ、左手でベッドの手すりを掴んだ。

「あかんて、この前みたいに熱出るから寝とかな」 「もう大丈夫やもん」 「もー、子供みたいに」 起きあがるのを手伝おうと美央の背中に触れた。 あっ、と云いたくなるほど肉は削げ背骨が浮き出ている。

「森野さん来てるのに失礼やから」 やっとの思いで、美央は体を起こした。 ピンク色パジャマが覆い隠してくれている。だが、肩や胸もすっかり痩せ細ってしまっていた。

けれど、唯一の望み。。。 顔の色つやは、日に日に戻りつつあった。

-----5時間に及ぶ大手術。 (海外からも注目の名医が居られるの) いつか美央が口にしたその名医、橋村康平による執刀だった。 ロンドンから駆けつけたご両親には術後の説明がなされ、 予断は許されないが一応の成功と告げられた様だった。その証拠に 「母の美佐江から伺っております。本当にありがとう、これからもお願いします」 そう挨拶をするや母親の美砂さんは一足先に戻った夫を追うように早々とロンドンに舞い戻られた。

街にはクリスマスソングが流れ、ツリーのイルミネーションが賑やかに輝きを見せ始めていた。

いよいよ、国光常務の奥様、淑子さんの退院日が近づき、連日のように僕は 談話室で田代ひとみ。つまり国光のお嬢さんとあのパーティ作戦について打ち合わせをして居たのだった。

カルベロ・クラロ。。彼女がまとっている特徴あるコロンの香り。 それはニューヨークで有名なファッションデザイナーのブランド品と知った。 病院にやって来る日はかなり控えめにはされていたようだが、狭い談話室の所為か、少しのあいだ過ごしただけでも香りが移ってしまう。

「でも美央。その香り好き、もちろん国光さんのお嬢さまも」 「あぁ、美央さんによろしくやった」

・・・・・・・・・・・・・・ 先月、病室を訊き、お見舞いした時のことだった。 「あら、森野さん?ご無沙汰。で、まさか母のためわざわざ?」 田代さんはビックリした顔を向けた。 「えぇまあ、それもそうなのですが実は・・・ 常務と一緒に習っているピアノの先生もこちらに入院で」 「まぁ・・・」 それ以来、連日のように美央の病室を見舞われ、まるで実の妹のように可愛がってくれた。

「なんか父とコソコソ。。まさかピアノだったなんて。今でも信じられない」 「えぇ、でもお母さんには呉々も内緒に」 「もちろん、サプライズにならないものね」 初めてみた常務の奥様。漠然と想像していたのだったが、やはり田代ひとみさんと瓜二つな顔だった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「ごめんね・・・」 突然美央が泣きそうな顔でつぶやいた。 「え、何が」 「ピアノ。。。中途半端で終わってしまい。国光さんの一曲も、とうとう教えきられなかった」

「あーまたそれ云うか、元気になったらまた教えてもらうやん。それに常務。。。あの国光をあそこまで上達させたのは美央の腕があったからこそやて。あ、そうそう前村も感心してた」

「え、何を?」

「例の虎の巻。あれがあったから引き継ぎもすんなりやったって」

-----虎の巻。。。。 国光の特訓。会社の同僚、前村加奈子に引き継いでもらうから心配すんなって。 それを聞いた美央は、指導の引き継ぎ書のようなものを病室で急きょ作成した。国光のクセ、失敗しやすい鍵盤の箇所などなど、びっしりと細かい文字が並んでいた。また譜面は覚えやすいように、ドレミのカタカナに置き換え、そして指番号を付け加えるなど、全て書き直されてあった。

(手術前の不安を紛らわしてくれたの)美央はそう笑ったが、だからといって簡単に書けるモノではなかった。

痛みと不安をこらえながら書いたであろうそれを思うと、今でも瞼が熱くなる。

「そうかな」 「あぁ、あれは凄い」 泣きそうだった顔に笑顔が戻りつつあった。 「やっぱ美央て天才?」 「あぁ」 「どれぐらい?」 「すんごく」 「どれぐらいすんごく」 「この病院いや、吉富町全体ぐらいの大きさかな」 「心から思って?」 「当たり前やん」 思わず美央の細くなった肩を抱き寄せた。 「心配せんでええから、きっと感動的なパーティになるから」 「うん」

1980年 12月21日 日曜日 午後1時 宗右衛門町 BAR鳥越

繊維ジャーナル 木内社長が発起人となった 一足早いクリスマスパーティと国光淑子退院祝賀会。その準備が始まった。

”割烹まえむら”からも数人の料理人を引き連れ女将さんも駆けつけられた。

「あ、先日はありがとうございました」 「とんでもあらへん。森野さん、これからも加奈子同様、よろしゅうに」 如何にも女将と言う風格を持った前村の母親だった。 下世話な言い方をすれば日陰の女性なのだろう。が、微塵も感じさせず、堂々と胸を張り前だけを見つめて生きていく。そういう太っ腹さがにじみ出て居る。そんじょそこらの男以上の頼もしさがあった。 鳥越のマスターや板前にてきぱきと指示を出していた。

前村加奈子・・・出生の秘密を訊きだした翌日 彼女は入社以来、初めて会社を休んだ。 (きっとあの話が原因や) 美央への心配で、胸が張り裂けそうだったが、前村に対しての心配もこみ上げるものがあった。 川村課長に電話番号を教えてもらい、公衆電話に走った。

「はぃ、前村です」 思いのほか、声に元気があった。 「あー、俺。森野」 「え、森野さん。。。」 「大丈夫か」 「えぇまぁ」 「なぁ、元気出せや」 「う、うん。ありがとう」

百倍は僕より打たれ強い。

が、やはりショックだったのだろう。前回の時は欠勤など無かったのに今回彼女は2日間休み、そして3日目にようやく出社した。

「森野さん、心配かけました」 「前回は欠勤なしやったのに」 からかいぎみに云った。すると 「前回・・・あの (あんざんこ)あれのおかげかな、ショックを吹き飛ばしてくれたもの」 そう言って あははと笑いだした。

「あぁ、案山子な、一生の不覚や。また元気出るネタ探しておく」 「あ、ネタと違う。天然じゃなかったっけ」 「あーそれ云うか」

真の父親は伊村会長・・・かなりショックだったろう。だが宿命を彼女なりに受け入れ、乗り越えたのだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 一番乗りは美央の祖母、美佐江さんだった。大きい花束を抱えられていた。本来なら孫の美央が最後まで教える筈。さぞかし胸に去来するものは複雑な思いがあったろう。

木内親子。広報の三宅室長。川村課長も次々と顔を見せ始めた。 「いやあ森野君、木内社長から招待状受け取ったとき、突然でビックリしたわ」 三宅室長が駆け寄った。

「すんません、なにしろ急に決まったので」 「あ、かまへんかまへん」 そう言って子供の顔で笑った。 パーティーの真の目的はまだ彼らには内緒だった。 (あとで、もっと驚くだろう)

開始予定時刻、午後2時 国光がドアを開け、奥様は田代さんが押す車椅子で入ってこられた。 全員拍手で迎える。 奥様の顔はやや青白いものの、表情はにこやかだった。 皆様ありがとう。とでも云うように無言で笑顔を振りまいた。

国光家族の着席を見届け、木内社長が挨拶に立った。

「えー本日は繊維ジャーナル主催の”一足早いクリスマスパーティ”にお越しいただきありがとうございます。それと本日は、私ども日頃からお世話になっております船場商事、国光常務取締役、奥様のご退院を祝しての意味も込め、開催させて頂くことを報告申し上げます」 店内に拍手が響いた。

挨拶が終わり、乾杯の発声のあと、懇談が始まりなごやかに盛り上がりを見せ始めた。 僕と前村は給仕役に徹し、カウンターやテーブル席を回った。

そして、いよいよその時が来、木内が合図した。

前村がおもむろにピアノに近づき、軽いメロディーを弾いた。何人かは突然鳴り出したピアノの旋律に驚き振り返ったが、前村を見るや納得するように視線を戻し、会話に戻っていった。

国光常務がトイレにでも立ち上がるようにフラリと席を離れた。

木内がマイクを取った。

えー突然ですが、皆様にお知らせがあります」 ぎょっと全員マイクの方を見る。なんと、国光がピアノの前に座っていた。

!? え、と何人かを除き、きょとん顔になる。 木内が続ける。 「今から国光常務が、最愛の奥様のため、必死で練習してきたピアノをご披露申し上げます」

奥様はもちろん、ほとんどが「えっまさか」と、あっけにとられた表情をした。

「本日はありがとうございました。では僭越ながら。私の家内が一番好きな曲、シクラメンの香り。歌わせて頂きます」 国光の声は少し緊張で震えていた。

サポート役の前村はやや緊張ぎみに特製の楽譜をセットし、横でスタンバイした。

店内がシーンと静まり、全員が注目するなか、静かにピアノによるイントロが流れた。 続いて 「真綿色したシクラメンほど清しいものはない・・・ あの名曲が 国光自ら弾くピアノの伴奏と共に流れ始めた。。。。 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

1カ所だけミスタッチがあったものの、両手使いの奇跡とも言えるピアノさばきだった。

そして歌声。決して上手とは云えないが 味のある渋い声だった。 終わった瞬間、店内は静まり返ったままだった。だがやがて嵐のような拍手が鳴り響き、いつまでもやまなかった。 国光は立ち上がり深々とお辞儀をし、汗を拭いた。 奥様は?と振り返れば、ハンカチで顔を覆い、肩を振るわせていた。田代さんは涙で瞳を光らせながら、その肩をやさしく抱いている。 その親子の姿に全員が感動するや、皆の目にも涙があふれた。

横で見守っていた前村加奈子。。 土曜や日曜の休日を犠牲にし国光の特訓に協力してくれた。その日々を 自らの宿命とともに振り返ったのだろう。ハンカチで顔を押さえ泣き崩れた。 鳥越のマスターが前村に駆け寄り、何ごとかささやいている。 うんうんとうなずきながら、さらに泣きじゃくった。

木内社長。なにか挨拶をしようとマイクを持ち上げた。だがとうとう声にならずマイクを持ったまま下を向いた。 それを見た娘の順子さんがまた泣いた。 美佐江さんの目。いや誰の目も真っ赤になりながら拍手を続けた。

(そもそも、なんの為に今さらピアノなんです) 半年前、生意気な僕の言葉だった。

(感動や)

たったひと言。そう云った国光の言葉がまざまざとよみがえった。

あわてて取り出したハンカチ。しばらくの間、ポケットに仕舞うことは無かった。。。。

そして石坂美央。。。。

年が明け、1月も過ぎ、そして立春を過ぎても僕は吉富病院に通い続けていた。

「あ、今日は遅いですね」 すっかり顔なじみになった看護婦が声を掛けてきた。 「すんません、残業がなかなか」 「お待ちかねですよ」 「ありがとう・・・」

なぜか高熱が続き、眠ったままの日もあったが、体調の良い日など、病室でピアノのレッスンが続いた。 妹から譲り受けた あの玩具の白いピアノを持ち込んでいたのだった。

そのピアノを見たとき、美央は声を上げ泣いた。 (もう一度ピアノが弾ける・・・) そしてなんと あのラ・カンパネラの一節を弾いたのだった。

(今日はピアノ。期待できるかも) 看護婦の言葉に胸を躍らせ階段を駆け昇った。 だが、待ちくたびれたのか眠ってしまっていた。

ピンクの手帳が開いたまま顔の下敷きになっていた。

インクが顔に付いてしまう・・・そっと顔を起こし、取り上げようとした。

小さい紙がぱらっと落ちた。

変にすましたスーツ姿のくせに、半分目を閉じた失敗証明写真。

数日前、美央は急に僕の写真をねだった。

「急に言われても。。家で探しておくわ、あ、入社試験用の奴。 撮り損ねた証明写真なら残ってるかも」 確か定期入れに・・・と探したあの不細工顔の証明写真だ。

「きゃはは」と美央は腹を抱え、 「これ最高」と取り上げた写真だった。

もと通り手帳に挟んでおこう。 手帳を広げなおした時だった。 殴り書きの文字が目に入った。

そして僕はしばらく泣いた。

(早く元気になって森野さんといっぱい遊べますように 不細工顔の森野さん・・・逢いたいよー。あ、約束したミモザの花・・・来月には咲く。一緒に見たいよー。どうかお願い。神様 一緒に見られますように。。。)

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三月なかば、僕はひとり石坂家前に立った。

果たしてミモザは。。。

と、考える暇もなく 目に飛び込んできた。 突き抜けるような青い空に大木がすっくと伸びていた。

そしてあたり一面 レモンイエロー 鮮やかな黄色。 丸い珠のような花が咲き誇っていた。

(めっちゃ可愛いよ) 初めて美央と口づけを交わしたあの夜 美央がつぶやいた。

その言葉に嘘はなかった。

※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名

、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はござい

ませんので。

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