小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

狂二4 NINE.sec その2

「それにしても何故にまた物理学の貴方が」

「9秒台の夢です。日本人初の」

「は、はぁ?」

「先月ロンドンご覧になられました?」 「え?ロンドン。。。あぁ、オリンピックですか」 三浦教授は、もちろんですがな。と少し憮然とした表情になった。 「世界記録には及びませんでしたが、オリンピック記録は立派でした」

何の競技、誰の事をさして喋っているのか思い出せずにいた。 「えーと水泳?。。。マラソン?」 果たして日本選手に居ただろうか、そのような選手。 唯一世界を期待された男子平泳ぎの北島選手の場合、リレーを除きメダルにはあと一歩届かなかった。。。 あれこれ思い出しながら 「そのような選手て日本人にいましたっけ?」 すると 「違う違う。。。。あ、失礼。つい私の悪いクセで。正確な言葉尻がないまま話を進めてしまい。陸上100mのボルトです」

「あぁ、ボルト・・・」


締め切りの迫った原稿を打ち込みながら観た中継を思い出した。 「はぃ。徹夜仕事をしながら横目で中継見てました」

そう応えると、教授はようやく(我が意を得たり)な表情で、うんうんとうなずいた。 まさかオリンピックの思い出話のために、呼びつけたのじゃないだろうな。 不安を抱きながら目の前の教授を観察した。律儀にも半袖カッターシャツの第一ボタンまで留めている。ボサボサの白髪。大きい黒ブチメガネの顔は誰かにそっくりだ。あ、そうそう最近テレビで見かけなくなったがムツゴロウ先生。。

こちらの質問には一切スルー。勝手に自分で話をどんどん進めたがる人種に違いない。

それにしても、会いたいと言う著書の彼とオリンピック。何の関係があると言うのだ。しかも物理学の教授が。

「寺島さんはどう思われます?」 またも唐突な質問が飛んできた。 「はあ?何がです」 そう返答するとムツゴロウ教授はまたも不機嫌な顔になった。

「先ほど僕が言った日本人初の9秒台」 「はあ?誰が?」 「ですからこの子。。いやこの青年」 教授は憮然とした表情で私の著書を指した。

我ながら、思考の回路がたどり着くのに手間取った。 ようやく頭の奥で薄ぼんやりと気づくものがあり、おぼろげに見え始めたものがあった。

(あッ、彼の日本人離れした体格。。。いやいや体格だけではない。ずばぬけた強靱な筋肉。不屈の闘志。それでいて驚くほどの軽い身のこなし。。。相手と闘うサマはどこか芸術的な華があった) なるほど。。。だが、え!?。いやいや。。。まさかそんな。 「彼が陸上の100メートル?」

「是非ともお願いです。ひとめ彼に会わせて頂きたい」 「はぁ。ですがおそらく今まで陸上競技など無縁だと。。。」 奇跡のヒーローを書き上げるにあたって取材した日々を振り返った。 彼の奥様から届いた年賀状には白浜へ転勤と書かれてあった。

「寺島さん、ボルトの世界記録。なぜや思います?」 またもいきなりの質問だ。

「そりゃあ、日々の練習。。。それも想像を絶するほどの」

するとムツゴロウ教授はニヤリと笑った。 「練習だけで世界記録が樹立できるなら誰も苦労しません」 「はぁ。。。。」 「ボルト選手、100メートルを何歩で駆け抜けたかご存じですか?」 「歩数ですか。。」 脳内をフル回転、必死に暗算に挑戦した。 一般男性が歩く場合約80センチの歩幅として 100割るコンマ8・・・・125歩? 走りの場合、それの半分として・・・ 「おおよそ5、60歩でしょうか」

するとムツゴロウ教授は勝ち誇ったような笑顔で 「はは、なんと驚くなかれボルトの場合36歩少しです。100の距離を」 「えっ。たったのですか」

するとムツゴロウ教授はすっくと立ち上がり、本棚から茶色に変色した雑誌を取りだした。

「かれこれ20年前です。1991年東京で開催された世界陸上選手権大会。アメリカのカールルイス選手が自身の持つ世界記録を更新しました。覚えてられるでしょうか」

「まぁ、なんとなく」

「人類初めての9秒8台に突入。9秒86の世界記録がおそらく限界記録。もう破られることはないだろうと、当時大きく報道されました」 教授は一息ついて 「自慢するようですが、これをご覧頂きたい」 先ほどの雑誌。ページを広げながら差し出してきた。

「はぁどうも」 てっきり陸上関係の雑誌かと思ったが違っていた。 (月刊物理評論1991・12月号) 広げられたページには (本当にカールの世界記録は限界なのか)北摂総合大学 三浦隆史 とあった。 そしてムツゴロウ教授の若かりし顔写真が掲載されている。

興味を惹くタイトルの割に、うんざりするような数字の羅列と、何かの公式なのだろう、やたらに数学記号が並んでいる。 3行すら読む気が起こらない。

「きっかけは、ゼミ学生からの質問でした」 「はぁ。。。」 「人類として9秒8が本当に限界でしょうか。と」 「えぇ。。。」 「はっ、とさせられました。それまで陸上には興味も関心もなかったのですが、学生の云うとおり、物理学の計算式を駆使すればおのずと弾き出されるのでは?それからというものの頭から離れられず、カールルイス選手の身体データーや、記録を樹立した時の映像。会場当時の気象データー等々、ありとあらゆるデーターを取り寄せました。そしてその論文を仕上げたのです」

「ほーう」 (それがどうした)

「で、論文に【カールルイスの身体データーは、身長188体重88キログラム。ストライド(歩幅)2メートル30~40。だが計算式で言えば 将来、身長195~199。ストライド(歩幅)2メートル70体重90~98の持ち主が現れた場合 9秒5台は可能である】そう結論付けました」

「あ!もしやボルト選手・・・」

「えぇ、まさしく現れてくれました。彼の場合、 身長196・体重94・走行ストライド2メートル70なのです」

「論文発表後、ゼミの学生からさらに質問が飛びました。教授が主張する体格の持ち主であれば日本人でも可能でしょうか。と。それで僕は、ピッチ(足の回転数)を上げる筋力を持ち、100メータを駆ける間その筋力を維持出来たなら、むろん国籍は関係ない。そう断言しました。心の中では日本人では簡単に見つからないだろう。そう思いながら」

「あっ、教授。それで・・・」

「寺島さん、僕が何を言いたいのか解ってくれましたでしょうか」

「はい、勿論!」

閃光が走り、汗が吹き出し、そのくせ全身に鳥肌が立った のを感じた。

(なるほど!そういうコトか。彼なら・・・)

つづく ※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名

、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はござい

ませんので。

(-_-;)