小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

狂二4 NINE.sec その7

(麗花さん、栗原専務を呼んで来てくれるか) はい承知。とすぐにでも駆けつけたのかと思いきや、陳麗花はつかつかと応接室にやって来た。 おもむろに河本の眼を見据えると 「あのぅ河本社長、お呼びたてする用件はどのような理由からでしょう。すぐに済む用件でしょうかそれとも時間を要する案件でしょうか」

つべこべ云わずさっさと呼んで来い。 河本のカミナリが落ちる・・・一瞬ヒヤリとしたが 「あ、すまんすまん。用件・・・俺がしばらく会社を留守にするかも知れない件、従って成り行きによってすぐ済む問題やない。あとで君らも集まってもらうことになるかもや」

麗花は表情ひとつ変えずに河本の眼を見ていたが 「はい、了解致しました」と、きびすを返した。 単なる事務員とは思えないモノを持っている。つい河本に

「しかしまぁ、いつもあぁいう調子ですの?珍しくしっかりした子ですね。彼女、台湾?中国?」と訊いた。

「今の?中国ですわ」河本は事も無げに応えた。 「ほーう。幅広く人材を集めてられるんですね」 「まぁ、色々あって。恩義ある人から頼まれ預かったんです。けど、何をさせても飲み込みが速く答えを出すし、数カ国の言葉もペラペラ。海外からの問い合わせや交渉ごとに大助かりで、今やウチの貴重な戦力ですわ」 と満面の笑みを浮かべた。 「ほーう海外とですか」教授が感心した。 「そういえば大学関係者の訪問も多いと小耳に挟んだのですが」

タクシー運転手との会話を思い出した。 「え?さすが情報が速いですね。実は・・・」 河本が何か云いかけようとした時 ガラリとドアを開ける音がし、靴音が近づいた。 応接室ドアを”ゴンっ”とノックするや、

「社長、いきなり何事ですら。会社を留守にするって」 声を荒げながら男が入ってきた。 防寒ジャンバーと黄色のヘルメットを小脇に抱えている。 怒気を含んだ声。だがやけに澄み切った眼をしている。

その眼には見覚えがあった。坂本前社長の取材に訪れた時だ。 坂本からあれこれ指示を受けたり、反対に何かを伝えにちらちらと顔をのぞかせていた。 だが寡黙な男で、直接会話をした記憶はなかった。この男が栗原専務なのか。
河本は 「まあまあ栗原専務、忙しいときに申し訳ない。こちら大学の教授と寺島さん」と紹介してくれた。 教授と一緒に立ち上がり、名刺を差し出す。

河本ほどではないが大柄な男だ。歳はもちろん河本よりはるか上。私と同じ50代ぐらいか。が、河本に負けず劣らずのぶ厚い胸板をしている。

「ども栗原です」 栗原はぺこりと頭を下げ、名刺を受け取った。 「え!北摂。。。」一瞬、表情が変わった気がした。教授の顔をまじまじと見つめ返したあと、ようやく私の名刺を見た。

「あ、寺島さんってあん時の。これはこれは失礼しました。その節は坂本がお世話に」と3年前を覚えてくれていた。 「いえいえこちらこそ、その節は」 「しかしまあ坂本も家島騒動に参加してたなんて、今想いだしても驚きですわ」 沢田事務員と同じことを言った。

「で、それより麗花さんから聞いて飛んで来たけんど、今度はいったい何事が始まりますのや?」 栗原は立ったままだったが、河本に「まあ座れ」と云われ渋々横に座った。

「その件やが・・・」 河本は「この方たち」僕らを指しながら 「俺に陸上を薦めに来られた」 「はあ?リクジョー?」 「走る陸上や」 「すでに毎朝5キロほどジョギングしてますがな」 「いや短距離や、100の方。俺に日本記録の更新を狙えと」 「んなぁ。冗談よしてくださいや、ワシ忙しいけん」 「冗談やない真面目な話や」 栗原は私に顔を向けるや 「寺島さん、本当の話ですかぃ」 「えぇ。。。教授と私、この度はご無理を承知でお願いに参りました」 「んなぁ。なぜまたうちの社長に。まさか昔、選手だったんですかい」 「いや、本気で走ったのは中学の運動会までやな」

「ほらぁ、わし忙しいけん」 冗談はもうよして下さいとばかり栗原は立ち上がった。 「栗原専務、100の世界記録何秒か知ってますでしょうか?」 教授が押しとどめるように訊いた。 「いや知らん、興味も無い」 「9秒58。かたや日本記録、10秒ゼロゼロのままなんです」 「それがうちの社長となんの関係がありますねや」 「栗原専務。河本社長に日本記録を更新していただきたい」 「ですから、何度も云うけんど、なぜそこに話が飛躍しますねや」 「少しのトレーニングを要しますが、彼には可能性があるんです」 「河本の走りをどっかで見てたんですかぃ。運動会で走ったのが最後。さっき本人が云ってたやないですか」

「先ほど申し上げた世界記録保持者、ジャマイカのボルト選手。。。先月のロンドンオリンピック優勝の。ご覧になられました?」 教授も負けずと食い下がる。 だが栗原は無言で首を横に振っただけだった。

「そうですかそれは残念。で、そのボルト選手の体格と河本社長の体格。ほぼ互角なのです。いえ厳密に云えば河本社長の方が勝ってられます」 「ま、確かに社長は日本人離れしてますわな。でも陸上の方、素人同然やないですか」 「えぇ、ですから若干のトレーニングが必要でして」 「ほらぁ、なぜウチの社長の話になりますのや。日本中探せば他に体格の良い奴なんぼでも居るでしょうに」 「えぇ、当然のように探し続けました。ですが全員期待はずれで」

立ち上がったままの栗原だったが、覚悟を決めたのかソファーに深く座りなおした。 作業服のポケットから小型の無線機を取り出し、 「シュウジ、聞こえるか」と呼んだ。 しばらくして、ザーという音のあと、(はいシュウジです)と聞こえた。 「こっちの用事長引きそうや、サイトウに頼めるところは頼んでワシの分片付けてくれるか」 (了解です)「すまん」

無線機をポケットに仕舞うと、栗原は 「さぁ、ゆっくり聞かせてもらいますけん」と教授に向き直った。

「私も何度も云います。日本人初、9秒台の夢の実現に是非お願い致します」 「んなぁ。ですから素人がいきなり無理ですって。で、三浦教授。物理が専門なんでしょう」 そういって名刺を見つめた。 「えぇ、先ほどのボルト選手の世界記録。私が20年前に計算で弾き出した数字なのです。で、河本社長にもその記録を出せる素養があるのです。数字は正直です」 教授は胸を張った。 「身長、体重だけを見て云ってられるんと違いますか」 「いえ、先ほど彼の筋肉。拝見し確信いたしました」

「で、社長。あなたの気持ちはどうなんです」 「だから専務に来てもらった」 ようやく河本は口を開いた。 「最初は俺も冗談としか思えなかった。けど教授の話を聞くうち、その気になって来た」 「んなぁ。。。。あ、でも週末だけのトレーニングならわざわざ会社を離れんでも済むやないですか」

栗原の言葉に同感だ。思わず河本を見た。 「栗原さん。問題はそこや、俺としては、やる限り徹底的にトレーニングを開始したい」 「いつまで続く話ですねん」 「来年の8月までや」 「おおかた1年ですがな。この近くでトレーニングじゃ駄目なんですかぃ」 と教授を振り返った。 「えぇ、勿論考えてみます。。。」 苦しそうに教授が云った。 だが河本は 「けど。。。遊びでやるんやない。同じやる限りには結果を出したい。その為には設備も完備な専用グランドに、専門のコーチが付きっ切りが良いと思う」 すっかりその気になっていた。

「学生でもないのに」 「俺、大検の資格持ってる。。。」 「え、そうなのですか。それは都合良い」 教授の顔色が変わった。

「んな。。。」 栗原は頭を抱えた。 「会社として何のメリットも・・・」 が あ、と顔を上げ、 「三浦教授、その代わり。。。っちゃあ何ですが、お宅の医学部と話をつけさせてもらえませんか?」と云った。

「え、医学部と?」 「えぇ、ワクチンや薬品など医療関係の保存にウチの冷蔵設備を利用してもらえたらと。お宅だけですねん、関西の大学病院で返事をいただいて居ないのは」

そう云えば名刺を見たとき、栗原の表情が変わったのはこれだったのか。

「ほーう医療関係の冷蔵保存?」 「えぇ、全国でもウチだけです。専用設備が完備。今年から365日、24時間対応ですわ」 河本が胸を張った。

「ほーう、それは面白い。さっそく学長や理事長に話をつけます」 「ありがとうございます」 「では陸上についても承認。。。」 「いやいや、それは。。。本社。。田嶋総業の承認が必要なので、今すぐの答えは。。。」

「なるほど、あの高城常務が今や社長とか」 取材時の“いかつい”風貌を思い出し訊いた。

「えぇ、今でも頭が上がりませんわ」 河本は顔をしかめながら笑った。 「坂本の大将もですわ」 と、栗原が続けて笑った。

つづく ※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。

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