小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

狂二4 NINE.sec その10

大阪の地形は縦に長く延びる。そのやや北部に位置する丘陵地帯に北摂総合大学専用グラウンドがあった。 1周400m×9レーンを擁する全天候型ウレタン舗装の本格的なトラックと、フィールドは天然芝を敷き詰めた全天候型のモノ。 第1種公認の陸上競技場に決してひけをとらない本格的な設備だった。

10月なかば、ひとあし早く色づき始めた木々の葉っぱを秋風がなびかせていた。街なかではまだ汗ばむほどの陽気だったが、ここ一帯はすっかりと秋の気配を漂わせ始めている。

野鳥のさえずる声が頭上の木立でしきりに聞こえていたが、男たちのぞろぞろ出てくる気配がするや、慌てて飛び立った。

いよいよ夢プロジェクトも記念すべき本当の第一歩が始まる。。 沸き上がる気持ちを押さえながら私は、おおよそ1ヶ月前を振り返った。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


まったくの素人。しかも陸上スポーツとは縁もゆかりもない会社の若き社長。 おおよそ一年ほど会社を放り出してまでの陸上100メートル記録への挑戦。。。

その許しを乞うテレビ会議。。。 親会社の社長、高城からの問いかけはたったの一言だった。

「本当に自信があるのか」

「無ければ話に乗りませんよ」 と河本が応え

「じゃあ了解や。坂本君に、中岡君、それでええな」

え!と思わず叫んでしまったほど、あっさりと本社の許しが出た瞬間だった。 が (あの高城にして、河本あり。。。)

よくよく考えれば、高城という男。二十歳過ぎの若造を関連会社とはいえ社長に抜擢する程の肚(はら)の持ち主だった。高城の人生も、過去において世間一般の常識にとらわれるコトなく歩んできたに違いない。 突拍子もない私らの申し出に対して、常人では計り知れない思考や価値観を持って受け入れてくれたのだろう。

「三浦教授おめでとうございます。夢に一歩前進ですね」 思わず右手を差しだした。 「えぇ、寺島さんのおかげです」 満面の笑顔で右手を握り返してきた。 「いえ、滅相もない。しかしこれからが本当の勝負です。われわれも責任重大です」 「えぇ」

その時、なぜか浮かぬ顔をして河本が近寄ってきた。 彼もこれから始まる重責のことを考えたと云うのか。 何しろ日本人初となる夢の9秒台。従業員たちの期待を一身に背負って。。

だが・・・ 「寺島さんら、今からのご予定は?」 「はぃ白浜の温泉でもと、グランドホテルに」 「この時期満杯じゃなかったですか」 「それがうまい具合にキャンセルが出たとかで予約は取ってあります」 「それはそれは、あとで誰かに送らせます。しかしその前にひとつ頼みが。。。」 河本にしては情けなげな顔を浮かべている。おまけに気弱な男のようにモジモジした態度だ。 「え、どうされましたの、まだ何か?私らにできること何でも仰ってください」 「実は。。。」 「えぇ、何ですの」 「重大なコト忘れてました」 元気なくうつむき加減で、河本がつぶやいた。 「えぇっ。まだ何か」 思わず教授と顔を見合わせた。

「一番の難関かも。多美恵ですわ。。。家内への説得につきあってくれますか。歩いて直ぐのマンション。。。」 「あッ。。。」 しまった!とその瞬間思い、夢から現実に引き戻された気がした。

なにしろ彼は今後一年ほど無給になるかもだ。 彼の奥様も。。。せっかくの社長夫人としてここまで築き上げ、安定した暮らしが見え始めていたであろうものが、場合により消え去るかも知れない。

・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・ ※ 「なんとまあ。。。そんなぁ」 両の眼をいっぱいに広げ、私や教授と河本の顔を交互ににらみつけ絶句した多美恵夫人だったが

「今度こそ生命の危険なんてないのでしょうね」 ただそれだけを訊いてきた。 「そりゃあ、あるわけない」 と河本が応え

「その点は大丈夫ですわ。私や教授も保証します」私は胸を撫で下ろした。 「じゃあ仕方ないわね。どうせ反対したところで決心は固いんでしょ」 と、予想外の理由であっさりと承諾された。

「けど一年ほど給料なしになるかも。本当にええんか。。。」 恐る恐る河本が訊いた。 「大阪での生活費は大学の方で何とかなりませんの?」 思わず私は教授に訊いた。 「寺島さん・・・」 先ほどから考え事をしていたのか黙り込んでいた教授がようやく口を開いた。 「いやはやお恥ずかしい話ですが、あまりにも急な展開でそこまで考えて来なかったのが正直なところです。ですがただひとつだけ、期待に沿えるものが」

「何ですの」 「河本さん、大検の資格をお持ちだと仰ってましたね」 「えぇ、大卒にこだわってとかじゃないんです。今ごろ初めて思ったんです。もっと社会や経済のこと。世界のコトを勉強すればよかったって。それでいつか本格的に勉強したいと思い始め、二年前に取ったんです。でも昨日までチャンスと暇もなく、すっかりあきらめ始めていたところで」 「実に素晴らしい。私と山根君の推薦状でスポーツ特待生。。いや、それ以上の待遇になるはずです。ただし条件として第二学部(夜間)で講義を受けてもらうことになりますが」

「夢に見た学問も。。。」 河本は目を輝かせた。

「卒業まで最低4年かかることになるのでは」 (また帰って来てくださいますね)そう訴えるように云った従業員たちの顔が浮かんだ。 「うーむ。。。」 「いや、通信教育という手もあります。その時が来たらまた考えましょう。私が責任を持ってなんとか手立てを考えます」 「ありがとうございます」 「じゃあ問題ないね。私ひとりぐらいコンビニの給料で十分やから」 多美恵夫人が云った。

訊けば弁天町時代と同じチェーン店が田辺にあり、今年の春から働いているという。 栗原専務も店主とは顔なじみらしい。

「まさか、大阪に付いて行かれないのですか」 「えぇ、店のオーナーが腰を痛められ。。。それで手伝い出したんです。それに、ここの暮らしにようやく慣れたとこですの。白浜倉庫の皆さん。それはそれは皆ご親切で。それに一年てあっという間ですわ、きっと」 夫人は気丈に云ってくれたのだった。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

あれから早や1ヶ月。 胸のポケットに仕舞っていた携帯が鳴った。 新春社編集部、三好菜緒子からだった。 「今どこですの、もうすぐ始まるところ」 (ゴメンゴメン、タクシーの運転手が迷ってしまい。あ、いまナイター設備の照明塔が見えて来ました。茶色い鉄柱)

え、と思い見上げた。 グランドを照らし出すに充分な照明塔が2基そびえ立っていた。 「じゃあ、そこから5分ですわ」

東京からわざわざ駆けつける。。。企画書もようやくゴーサインが出たというコトか。 笑みをこぼしながら携帯を仕舞った。

ほぼ同時だった。 「うわー メッチャ広いな」 トレーニングウエアに身を包んだ河本が出てきた。 山根監督、三浦教授。それに数人の陸上部の学生らも続いた。 どの顔も期待に胸を膨らませていた。

つづく

※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。

(-_-;)