小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

狂二4 NINE.sec その13

河本の陸上練習初日、50メートル走の計測が行われた。

「え、凄すぎる」 三好が叫んだ。 大きく出遅れたスタートに直視出来ず、つい俯いてしまっていたが、その声にえ、と顔を上げた。 いつの間にか河本はスタートでまごついたものの、グングン加速するや、みるみる差を詰め始めていた。。。。

だがゴールまで残り数メートルという地点に迫った時、シノヅカ君が先頭を切ってゴール。続いて他のふたり、ほぼ横一線でゴールし、直ぐ後を河本が続いた。

その時ふと、誰もいない筈の観客スタンドから歓声と拍手がわき起こった気がした。振り返るまでもなく無人のスタンドはひっそりと佇んでいる。 来年2013の夏。 モスクワで聞くだろう歓声を一足先に聞いた気がした。


「あーぁ、残念。あと一歩が」三好はかなり悔しがった。

だが私の感想は (初めての全力疾走にしては上出来、やはり非凡なモノを持っている)と云うもの。

少しぎこちないフォームだったが、長い脚を生かし、大股でぐいぐい距離を稼ぐところなど、ボルト選手のフォームを彷彿とさせ重なった。 後半だけのスピードならおそらくトップに違いない。 迫力満点、豪快な走りっぷりは誰もが認めるのではないだろうか。

あと10メートルもあったならきっと追い抜いていた筈。 課題はスタートのみ・・・ 教授や監督の感想が気になった。 監督は計測係りの部員と何やら話し込んでいる。 三浦教授は?と見れば、再生シーンでも観ているのか、カメラのファインダーをのぞき込んだままビクとも動かない。 やがて教授は山根の元へ駆け寄り、スタート地点を指しながら身振り手振りで話し込んだ。

山根は、じっと耳を傾けていたが、先ほど走ったメンバーを再び呼び寄せた。スタート地点やコースを指し示している。 「再チャレンジかな」三好が言った。 だがスタート位置より数十メートル後方に移動し、先のスタートブロックは他の部員により取り外された。

「加速走による計測や思います」 いつしかマネージャーの鈴木が背後にいた。 「加速走?」 「えぇ、10メートルほどの助走距離を設け、加速した段階からタイムを計測するのです。トップスピードの感覚を養うトレーニングのひとつです。ですが先ほどスタートに失敗した河本君、かなりのロスが発生したので、計測のやり直しが狙いかも知れません」 「なるほど」 鈴木の解説がありがたい。そしてふと思い出すことがあった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 密着取材を申し込んだ時の事。山根監督は

「基本的に大丈夫です。ただフィールド内は遠慮して頂きたい。その代わり。。。何か考えておきましょう」と言ってくれた。

このことかも。 それならば。。。と 「さっきトップでゴールしたシノヅカ君で、どれくらいのレベルですの?」 「えぇシノヅカ主将、関西地区では既に敵なし。ただ全日本クラスとなると。。入賞レベルといったところでしょうか」 「ほーう、小柄だけど、かなりのモンやね」

再スタートを待った。 河本ら4名は周囲を軽いランで往復し、体を温めていたが、いよいよ始まるようだった。 固唾を呑んで見守る。 「今度は全員立ったままのスタートですね」

スタート係りの 「ヨーイ」のあと「ハイっ」で走り出す。 鈴木マネージャーが言ったように、最初ほぼ横一線で走り始め、目印の地点に来ると全力を振り絞るようなスパートをかけた。 トラックを蹴りあげる音が響く。

シノヅカ君が最初飛び出し、河本が続いた。 もしシノヅカ君を抜くとすれば、河本はいきなり関西でトップクラスという事になる。 「うわあ、頑張れ頑張れ」 三好は単なるいち陸上ファンとしてはしゃいでいる。 その時、部員達のどよめきが聞こえた。 中盤30メートルあたりで、ついに河本はシノヅカを追い抜いた。 「うわあ、すごいすごいッ」 叫びながら打ち鳴らす三好の拍手が耳に痛い。 「そのまま、ゴー」 いつしか自分も大声を張り上げていた。

・・・・・・・ だが。。。 追い抜いた瞬間から河本は失速し始めた。 え、なぜ? 決して力を抜いた様子もなく、手足はぎこちないフォームながらも全力を振り絞っている。 終盤、40メートル過ぎでシノヅカが抜き返し、さらにもう一人にも追いつかれてしまった。

結局河本のゴールは3番目だった。 タイムが気になった。複雑な心境だ。 おそらく初めての全速力。にもかかわらず現役陸上部員と堂々と渡り合う走りは上出来とも言える。 しかし一方、日本記録を狙う片鱗を、少しでも見せるコトが出来たのだろうか。 前評判が高く、鳴り物入りで迎えた割りに、平凡な結果に監督はガッカリしているのではないだろうか。 そういった不安がこみ上げる。

「しかしまぁ、驚きです」 マネージャーの鈴木がポツリとつぶやいた。 「え、今の走り?」 「えぇそれもありますがそれ以上に。ほら」 と走り終えた彼らを指差しながら 「現役の陸上部員たち、両手をヒザにつき肩で息を整えてるのに、河本君の場合、全然平気なそぶりです」

あ、確かに。 云われてみると 河本は、平然としたままの姿勢でシノヅカに何ごとか話しかけている。 シノヅカは両手をヒザにつき、肩で大きく息をしながら応えている。 他のメンバーもシノヅカ同様、腰を折り曲げ息を整えている。たかが50メートルとは云え、全速力、それも2本走った直後とあればそれが普通の姿なのだろう。

ふと気になるコトを思い出し三好菜緒子を振り返った。 「例の企画書、通るやろか」 三好は手帳に何かを必死にメモしていたが、顔を上げ私を正面から見据え微笑んだ。

「もちろんですわ」

つづく

※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。

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