小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

狂二4 NINE.sec その14

走り終えた50メートル走。河本のタイムを訊きに走っていた鈴木マネージャーが戻ってきた。 一回目が6秒17、二回目は5秒21。との事だった。

「一回目は無視するとして、二回目のはレベル的に、どうなのでしょう?」 「えぇ本格的な陸上が初めての全力疾走にしては、まずまずと思います。ただ・・・」 鈴木はひと呼吸置いて

「加速走の割には普通というか、平凡な記録です。一回目の後半に見せたスピードからすると少し納得のいかない気がします。あ、あくまで私の個人的な意見ですが」 鈴木もあの失速は得心いかないようだった。

一回目は明らかにスタートでのもたつきが原因だが、二回目は助走をつけ、ハンディの無い走りでの計測だけに、河本の真価が反映されたタイムとも言える。鈴木が言うように平凡な3着に終わったタイムをどう判断するかだ。

(あの失速はなぜ?今後の走行訓練で、本当に日本記録を狙えるレベルにまで達するのだろうか)の悲観的な気持ち、あるいは (いやいやまだ始まったばかりじゃないか、三浦教授だって[最初は中学陸上にも負ける]と認めたじゃないか、企画書も通ったことだし、今日のところは良しと考えよう)

など楽観的な気持ちが行ったり来たりした。

監督の見解が訊きたい。三浦教授の見解も気がかりだったが、カメラ係りの学生らとすでに姿を消していた。 願いが通じたのか 山根はシノヅカに何やら指図するとトラックの外で待機する私らに歩み寄ってきた。


「河本の走り、どう思われます?」 やってくるなり口を開いた。訊きながら表情を伺う。 「まあまあの走りでした」と言いながらも、気のせいか表情が冴えない。 「二回目の急な失速。がっかりされてるのじゃないですか」 思い切って言ってみる。 すると 「もうすぐビデオ再生と、三浦教授による解析が始まる筈なのですが、ご一緒にどうです」 と訊いてきた。 「えぇもちろん、是非お願いします」 三好は、と見ればそっと時計を気にしていた。が、 「是非お願いします」と微笑んだ。 「では鈴木君、視聴覚ルーム。お二人のご案内を頼む。私もすぐ駆けつけるから」 そう言って監督は部員達のグラウンドへ駆けた。

グランドの方では障害競技用の柵を並べたり、またある者はフィールド内で高飛び用のバーをセットしたりしている。 鈴木マネージャーによると北摂大陸上部は 短距離走だけでなく、他の競技も関西地区ではそこそこのレベルにあるらしい。

「これだけの立派なグランドをお持ち。陸上にかなりの力を入れてられるんですね」 鈴木は「えぇ、創立者。。。現総長の父親なのですが当時短距離界では第一人者だったそうです。オリンピック候補になりながら太平洋戦争で無念の涙を呑み。。。大学設立以後、陸上部を始め、体育会系クラブへの援助は学園の総力を挙げ・・・以後伝統は継承されてます」と云った。

視聴覚ルームは、グランドに併設された6階立てクラブハウス内にあった。 各体育会クラブの部室や、トレーニングルーム、柔・剣・空手道場などそれぞれ専用道場はもちろん、大学では珍しいレスリング道場まであった。

今や築港冷凍倉庫社長、田嶋竜一もここ、北摂大のレスリング部主将だった。 築港騒動のあと、行方不明になった河本の身代わりのような形で、大学を中退してまで築港冷凍に入社したという。 今回、河本の話を聞き復学も視野に入れているとのコトだ。 幅広く事業を展開する田嶋総業。その跡取り息子と云う将来を約束され絶対的な力を持つ竜一。 一方、己の力だけを頼りに裸一貫からはい上がって来た河本浩二。ふたりは今後も切磋琢磨し、永遠の良きライバルになることだろう。ふとそんな思いがよぎった。

「こちらです」鈴木は軽くドアをノックし、「どうぞ中へ」と案内した。 部屋の中は薄暗かった。3~40人ほど分の座席は後方になるほどせり上がるように設置され、前方には黒板の代わり、横10メートルほどのスクリーンが横たわっていた。小さい映画館にでも紛れ込んだ気分だ。

「どうもどうも」三浦教授がやってきた。 思いのほか、表情は明るい。 最前列の中央に1メートル四方のテーブルが設置され、投影機とノートパソコンが置かれてあり、三名ほどの学生が座っていた。 先ほどの撮影係りの学生がノートパソコンをのぞき込んでいたが、 「三浦教授、スクリーンのほうで再生しましょうか」と云った。 「いや、山根監督が来られてからにしましょう」 「しかしまあ、本格的な設備なんですね」 三好がぐるりを見渡しながら感嘆の声をあげた。 「えぇおそらく体育大に負けない設備やと思うてます」 と三浦は自慢げに云ったあと、「今やスポーツも情報化というか、画像による解析の時代です」と云った。 「彼らは陸上部じゃないのですか?」 撮影係りの学生らは思い思いのファッションに身を包んでいる。 「あ、彼ら、ウチのゼミの学生なんです」と笑った。

ようやく、「遅くなりました」 山根監督が入ってきた。

「原因は分かりましたか?」 山根は三浦教授の顔を見るなり訊いてきた。 監督もあの失速が気になっていたのかもしれない。 「まぁ想定どおりと云えば想定通りなのですが、とりあえず映像を観ていただきます」 と云って教授は学生に 「じゃワタナベ君、最初から」と云った。 「承知しました」 再生が始まり、私らは前方に集中した。

映像は二回目の加速走の方だった。 超低速なスロー映像で迫力ある河本の走りが映し出されていた。 右上の数字はおそらくタイムだろう。だが時おり矢印と同時に数字が映し出されていた。

「あ、そこでストップ」 教授が指示を続ける 「少し巻き戻して」と云ったあと 「この河本君の姿勢をよく覚えておいてください」と監督を振り返った。 シノヅカ君がまだ先頭を走り、河本が追い抜く寸前の映像だった。 山根は 「あ、なるほど」と云ったが、私にはさっぱり分からなかった。

「ワタナベ君再生を」 教授の指示でスロー再生が始まった。 河本がシノヅカ君を抜き去り、トップでしばらく走る映像が続いた。

山根監督は「あ、このあたりですね」 と云った。 教授は「ここでストップ」と云った。 先ほどの映像と、一体どう違うのか分からなかった。 が、おそらく河本の失速が始まった地点だと思われる。

「先ほどのと、どこが違うのでしょう」と訊いた。 「寺島さん、この姿勢です」 と教授はスタイラスペンでモニターをなぞった。 スクリーン、河本の背中から地面に向かって線が 引かれてあった。 「ワタナベ君、先ほどのを」 先ほどの画像が重なるように写し出された。

「え、もしや角度?」 失速が始まった姿勢は 地面に対してほぼ90度。垂直に伸び上がってしまっているが、先の追い抜く寸前までは およそ70度の前傾姿勢だった。

教授は「えぇ正解です。ついでにこの数字に注目ください」 とスタイラスペンで囲った。

時おり矢印と同時に出現する数字だった。 河本に向かっての矢印と8.0とある。 「この矢印と数字は 向かい風、風速8メートルの意味です」 「じゃあ、向かい風のため体が伸び上がり?」 「いえそれは無いでしょう。向かい風はスタート直後からほぼ一定です。推測ですがシノヅカ君を抜いた直後、余計な力が働き、つい伸び上がってしまったのではないでしょうか。あの巨体ですから風の影響をモロに受けてしまい・・・」 「ほーう、じゃ簡単なコトじゃないですか、今後、姿勢さえ気をつければ」 素っ頓狂ぎみな私の声だった。

だが、 教授の顔はイマイチ冴えなかった。

「寺島さん、白状します」 と云った。 「え、何ですの」 「私の理論には、唯一の欠点と云うか弱点があったのです」

視聴覚ルームに教授の声が哀しく響いた。

つづく

※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。

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