小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

狂二4 NINE.sec その16

私鉄の北摂大前駅。駅前広場の一角にそびえ立つモニュメントの鐘が夕刻5時を奏で、列車を待つホームに流れていた。 バスに乗車中のほとんどは、次々と呼び出される携帯に、ずっと応対を余儀なくされていた三好菜緒子だったが、一区切りついたのかようやくフラップを閉じた。 「寺島さん。ごめんなさいね」 「あ、いえ全然お構いなく。にしても忙しそうですね。いつもそんなですの?」 前回会った時は彼女が新人だったこともあるだろうが携帯など無縁の人に見えたものだから少し意外な気がした。 「えぇまぁ。けど今日の場合。。。超サイアク・・・」 そう言って携帯をポケットに仕舞った。 「え、どうされましたの」 「三日後に出版予定の雑誌。印刷所の方でトラブってしまい。。。今からとんぼ返りで」 「えっ今からって、都内?」 「いえ今回は千葉。。。」 「んなぁ」
思わず頭の中で時計の針を4回転ほどさせた。 「乗り換えがスムーズに行ったとして着くの9時前後?」 「えぇ、それでもまだ早いほうなんです。ひどい時なんか日付が変わってようやく。。てことも」 「それて家に帰るヒマなど・・・」 「えぇ当然会社に泊まり込み。で、いつでも対応できるように。。。」 そう言いながら大きく膨らんだバッグを、”ぐいっ”と私に向けた。 「着替えとか、あ、まさか枕まで入ってたりして」 冗談のつもりだった。だが彼女は 「えぇ枕が変わるとダメなタチで。おかげで筋肉もつきました」 「・・・・・・・」 普通なら笑い飛ばすべき話なのだろう。だが彼女の多忙さを思うと胸が締め付けられた。 企画書を通したいがため、河本の練習初日への見学ただそれだけの為に大阪まで誘ったことを後悔し始めた。 滑り込んできた列車はがら空きだったが、一緒に乗り込んだ学生たちで埋まった。が、タイミング良く二人分の席を確保出来た。 「すみません、申し訳なかったです」 「え、何がですの?」 「そんなに忙しいとも知らず、わざわざ呼び立てたようで」 すると彼女は突然向きなおり 「とんでもない。実際この眼で彼を見、さらに監督や教授たちのお話も聞け、納得しました。おそらく日本人初、夢の9秒台。。。しかも世界記録さえ」 三好はつい興奮したのだろう、声が大きくなっていた。 「しッ、まわりに。。。」 「あ、すみませんつい。。」 すぐ隣の席には学生たちが居たが、それぞれ自分たちの世界に没頭していた。今のところ気づかれた様子は無い。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ バス停までわざわざ見送ってくれた鈴木マネージャー。 「くれぐれも今回の件、秘密厳守でお願いします」と頭を下げたのだった。 「まさか出版はNGてこと?」三好菜緒子がすかさず訊いた。 「あ、いえそんなのじゃなく、当分の間・・・と言う意味なのです。他の出版社や新聞その他マスメディアに嗅ぎつけられると日常の練習に支障をきたすので。もちろん彼が国内の予選大会などに出場し、一躍脚光を浴びた場合、それは仕方がありません。ただそれまで。出きるだけ静かな環境で集中させてあげたいのです」 「あぁなるほど、よくわかります。承知しました」 何かコトが起きるたびのマスコミの報道姿勢、取材合戦や日本中のマスコミを総動員したような加熱ぶりには、元新聞記者でありながら、不快に思っていたものだ。 山根監督が鈴木マネージャーにバス停までわざわざ見送りを命じたのは、これを云わせる為だったのだ。おそらく。 「山根監督に、(充分承知しました)と、よろしくお伝え下さい」 そういうや鈴木ケイコは静かな笑みを向け、深々と頭を下げたのだった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 三好がささやきぎみに続けた。 「凄いプロジェクトの始まりじゃあないですか。とてつもない傑作本になること間違いないです。うん。大阪まで出張してきた甲斐がありました」 「そう云って頂くと。。ありがとうございます」 「で寺島さん」 「何ですの」 満面の笑顔で 「モスクワもご一緒させて下さいね」と云った。 その場合、旅費はどうなるのだろう。ふと頭をよぎったが、 いやいや、何て俺はケチくさくなったのだろう。 モスクワ行き。すなわち河本が選手権出場への切符を手に入れた時じゃないか。素直に喜ぶべきだ。 「えぇ、もちろん」胸を張って答えた。 車掌のアナウンスが北大阪急行への乗換駅を告げた。 「あ、もう少しで忘れる処でした。どうぞこれを」 三好はバッグのファスナーを開け、封筒を取り出した。 「何ですの」 「今回の契約書・・・と言っても覚え書きのようなモノです。じっくりお読みになり、納得いただければ署名と捺印の上返送下さい。届き次第、前金の方は振り込みさせて頂きます」 「え、いきなり。。ありがとうございます。本当に助かります」 (実は・・・もう一本凄いネタが。。。) そう云い掛け、思わず呑み込んだ。 とりあえず。。。 とりあえず彼に会い、証言を取ってからの話だな。 バスに乗る前の携帯。。ヒロシと交わした時間を確認するため、そっと袖を手繰り寄せた。 「では私はここで」 「トラブル、うまく行くといいですね」 「ありがとうございます。なんとかなるっショ。河本君に負けないよう頑張らなきゃ」 元気な声を残し、三好は降りて行った。 ※ まだまだ不慣れな梅田。その中で、唯一自信をもってたどり着ける場所。紀ノ国屋書店の前でヒロシが待っていてくれた。 と云っても、 「ども寺島さんご無沙汰です」 先方から声をかけられたのだったが、最初別人だと思った。 地味なグレーのスーツ。金髪の坊主だった頭は黒々とサラリーマン風に変身していた。しかも紀ノ国屋のカバーが付いた本を抱えている。 「え、ヒロシ。。。さん?」 「はは、昔の僕を知ってる人たち、全員そう驚かれます。が紛れもないあのヒロシです」 人懐こい笑顔は昔のままだった。 「しかしまあ・・・」 眼を丸くするばかりの私に 「メシ、まだなのでしょう、静かに話せる所見つけたんです。佐々木も時間が許せば顔を覗かせる。そない云ってました」 「あ、どうも宜しくお願いします」 そういうやヒロシは少しガニマタでスタスタと先を行った。 どちらが年上かわからない。見違えるような雰囲気を持っていたが、肩を少し怒らせ、ガニマタで歩く姿は昔とおんなじだ。 そう思うと、思わず笑いがこみ上げていた。 つづく ※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。 (-_-;)