小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

狂二4 NINE.sec その27

「本日卒業式を迎えた池田君、そして河本浩二君、とりあえず今はこの二名だけだが、大学職員の陸上部。つまり実業団のクラブとして発足してもらうことにしました」 山根監督の突然の言葉に部員たちから軽いどよめきが起きた。 「じゃあ河本さんとは別々になってしまうのですか」 篠塚主将が訊いた。 「いや、あくまでもカタチの上での社会人クラブ。実際はこれまで通り、同じグランドでの合同トレーニングになる」 なんだ。。。という安堵感にも似た空気が一瞬流れた。だが、 (え、じゃあなぜわざわざ。。。) 「何か深い理由がありそうですね」部外者の私だが、つい口に出てしまった。 私の言葉に山根監督は 「それに関連してなんですが」 と前置きし、いつも持ち歩いているフォルダーから用紙を取り出し 「いよいよ来月行われる大学選手権、今から派遣選手を発表する」 と部員たちを見渡した。 再びざわめきが起きた。


「では走り幅跳び、田村祐介」(ハィッ) 「110メートル障害、。。。」(ハイッ) 監督が次々に読み上げ、呼ばれた者は次々と返事していった。 そしていよいよ最後に 「100については本校からの出場枠は例年通り3名。参加選手は篠塚君、岡田君、そして加藤君以上の三名」 云うや用紙を元のフォルダーに仕舞った。 みたびどよめきが起こった。 「あのぅ監督、僕でいいのでしょうか?」 最後に呼ばれた加藤君が手を挙げた。 「何か問題でも?」 「いえ、選んで頂き嬉しいです。ですが僕なんかより河本さんの方がタイムはすでに上回ってられます」 「あ、それ云ったら僕のタイムよりも」岡田君も手を挙げた。 山根は黙って聞いていたが、河本の方を向きながら 「河本君。。。河本君には5月の実業団選手権の方に回ってもらいます。さっそく池田君との二名で。鈴木君その段取りで間違いないね」鈴木を振り返った。 「えぇ、間違いないです。先ほど監督が発表された方向でそれぞれの申請を致します」 鈴木圭子の声が春風に乗るようにグランドを舞った。

「いやあ実は河本君の発案なんですけん」 山根監督は私のグラスにビールを傾けた。 「え、発案と云いますと?」私は両手を添わせたグラスで山根のビールを受けた。

すっかり常連になった郷土料理の店。 池田君の歓迎会を急きょオヤジ連中だけで開こうと云うことになり、鍋を囲んでいた。 三浦顧問は遅れての参加らしい。

「実業団として参加できる資格があるのでは?っちゅう思いつきです。ちょうど迷っている最中でしたけん、そらあ目からウロコでした。けど調べてみたら二名以上の選手が必要とある。そんで春から本校の職員として働く池田君を思い出したとです」 山根は酔いが回るとクニ(長崎)の訛りが出る。 「いやあ突然電話を頂いたときビックリしました。けど事情をお聞きし、納得ちゅうか光栄で嬉しかったです」 池田君が云った。 「池田くん、ほんまよう来てくれたありがとう。で寺島はん」 「あはい」 「申しわけなか」 「何がですの」 「元々は河本君。9秒台の実現の為スタートさせたっちゅうプロジェクト。。。結果。思わぬ誤算ですばい」 「誤算と云いますと?」 「篠塚、加藤、岡田らの三人組。彼らも自己ベストを更新ばしよったとです」 「よかったじゃないですか」 空になった監督のグラスに日本酒を注いだ。 「よかありゃせん」 「なぜですの」 「おかげで悩みに悩み抜いたとです。しばらく眠れん日が続いたとです。大学選手権。ウチからの出場枠はたったの3ツ。河本君を入れるとなれば誰かを外さにゃならん。けんどあの3名のタイム、誰も文句のつけようが無い成績。彼らも必死に努力ばしよったです。はてさてどうすべえ、しばらくほんま、眠れん日が続いたとです」 「それでしばらく元気がなかったのですか」 「・・・・・・・」 監督は何かを思い出したのだろう。グラスを持ち無言でうつむいたままピクリとも動かないでいた。 何かあると、すぐに涙をこぼす理より情の監督。さぞかし辛かったろう。 ふいに顔を上げるや 「そげんば時、河本君が相談に来たとです。(スポーツ新聞で社会人大会の記事読んだけんど、そっちでも出られるんでは)っち」 「なるほど」 「しっかしまぁ、寺島はん」 「えぇ」 「彼は僕の悩みをすっかり見抜いてたとです。やっぱ人の上に立つお人なだけに、皆の気持ちよーう分かっとぉ人です」

「やあやあ遅れてすまん」 教え子らの卒業祝いの会に参加していた三浦顧問がやってきた。すっかり赤ら顔で、こっちに負けずにすでに”出来上がって”いるようだった。 「顧問ご無沙汰です」 池田君が立ち上がり挨拶した。 「お、これはこれは弾丸スタートの。。。。えーと」 「はぃ池田です」 「そうそう池田君。いやあよくぞ来てくれました。ありがとな」 池田君の肩をポンポン叩き 「じゃあ座ろせてもらおう」 どっこいしょ と言いながら三浦顧問は池田君の隣に座った。 「弾丸スタートて、何ですの」 三浦教授にビールを注いだ。 すると山根が 「寺島はん」 「はぃ」 「この池田君のスタート。そりゃもう見事なもんごたあある。 まさにミサイルっちゅうかピストルのような」 「けど、そのあとがお粗末でした。いやあ恥ずかしい」 云って池田は頭をかいた。 訊けば、低い姿勢からのいわゆる”伸び上がり式”のまさに弾丸のようなスタートを得意としていたようだった。

「あ、河本君が取組始めた新スタート姿勢。そのコーチ役にうってつけじゃないですか」 「はいな。こんな嬉しいコトないです。これも何かの縁ちゅうか、めぐりあわせなんやろね。ほんまよう来てくれた」 そう言って三浦教授はまたも池田君の肩を抱いた。

「いつもありがとうさんです。お味はどうかね」 女将さんが鍋のダシを継ぎ足しに来た。

「ちょいサビナカな」 山根が何事かつぶやいた。 「そげんこつ無いはずばってん。なぁ寺島はん」 女将は笑顔を残し隣の座敷へと移った。

(サビナカ)!? なぜかその後も引っかかっていたが

(ぷ。味付けが薄いという意味ですわ) 数日後、鈴木圭子からのメールでようやく意味を知ったのだった。

だが、(私も横に居たかったなぁ)の文字に年甲斐もなく胸がキュンとなってしまったのだった。

つづく

※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。

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