小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

狂二4 NINE.sec その31

関西実業団陸上競技会が開催された尼崎陸上競技場。 私たちが到着した朝の早い時間帯では閑散としていたが、五月晴れの青空が寂しさを帳消しにしていた。だが時間が経つにつれ観客席は賑わいを見せ始め、どう言うわけかそれに呼応するように雲も広がりを見せ始めた。 根っからの陸上ファンや、ピクニック気分のような家族連れもちらほらといたが、やはり実業団の競技大会らしく会社関係者とおぼしき観客達がほとんどだった。 名前の知れた会社に至っては必勝○○君と派手に染め抜いた横断幕を掲げたり、お揃いのユニフォーム姿での応援はさすがと思わせた。 だが、自社の選手の競技が終わるやそそくさと帰り支度を始めてしまい、そこにはぽっかり大きく虚しい空間が生まれた。

さて河本浩二、池田直人の二名による北摂大職員チーム。現役陸上部員や三浦顧問が率いるゼミ学生たちの応援はもちろんあったものの、職員仲間からは事情を知る者数名の応援しかなかった。今大会の為、急きょ結成されたクラブゆえ存在すら知らない職員が大半だった。だが彼らは翌朝のマスコミ報道で嫌というほどその存在を知ることになる。 さて田嶋総業関係からは高城社長を始め、坂本、中岡の常務コンビ、竜一、佐々木所長とヒロシ。いわゆる”チーム高城”フルメンバーを挙げての応援だった。

鈴木は彼らを見つけるや慌てて挨拶に走った。 白浜からも斉藤たちバイク組が駆けつけてくれた。 「どうも、いよいよっすね、栗原専務も(用事が片づき次第駆けつける、決勝には間に合うやろ)そない言ってましたけん」 男子100の予選はまもなく10時半から始まり五組33名がエントリーされていた。予選で各組3位以内が準決勝に駒を進め、さらに上位8名が決勝で競うコトになる。順調に進めたとすれば、決勝の開始は午後1時半からの予定だった。 「決勝まで確信してくれてるんですね」 「そりゃあもう、なんと言っても先月の9秒63。栗原専務だけでなく白浜の連中全員、モスクワの世界陸上まで確信してますけん」

応援席を離れていた鈴木が戻ってきた。なぜか二人連れと一緒だった。


ジーンズとトレーナー姿の女性が 「おはようございます」 と挨拶された。 なんと”割烹まえむら”の女将だった。いつもは和服で、髪もアップにセットされ落ち着いた雰囲気を醸し出していたが、軽くウエーブのかかった髪は肩まで降ろし一気に若返った感じがする。 女将さんの横にはジーンズ上下の男性。遠目では若く見えたが近づいてみると同世代にも見える。 まさか亭主?

「うちの亭主ですの」女将さんが微笑みながら紹介された。 「どうも初めまして、仕事の相談に乗っていただければと、のこのこ付いて参りました」 「えこの私に?」 背の高い男だった。長めの髪は後ろで一本に束ね、口ひげを蓄えている。よれよれジーンズはキズだらけで膝は破れ穴が開いている。勿論オシャレとしてだろうけど。 どうみても遊び人風に見えたが、目には優しさがあった。名刺を差し出してきた。

「どもフリーライターの寺島です」 軽い気持ちで名刺を受け取ったがなんと (船場商事株式会社 常務取締役兼ブランド事業部部長 森野彰)とあった。 なにげに裏返してみると、イタリアやフランス、ニューヨークの著名なファッションブランドのロゴ、マークで埋め尽くされてある。真っ先にジャンニビアンコのロゴが目に付いた。昔からあこがれを持ち続けたブランドのスーツだが、未だに手が届かない。

「え、船場商事の。。。これはどうも失礼しました」 「いえこちらこそ突然失礼しました。いつも家内の店、贔屓を頂いているようでありがたいコトです。誠に恐れ入ります」 深々と頭を下げられた。 大商社、しかも重役という肩書きをおくびにも出さない態度。たまに行く程度の客でしかない私への感謝の気持ちが真摯に伝わってくる。一気に好感を持った。 「とんでもない、こちらこそお世話になりっぱなしで。で、私に仕事の相談と言うのは?」 「えぇ、新しいスポーツブランドの立ち上げを計画してまして。。。」

観客席の一団から歓声が聞こえた。振り向くと、フィールド内で続いていた走り高跳びの選手。ガッツポーズが見えた。ようやく勝負の決着がついたのだろう。

「いよいよ男子100の予選も始まるみたいですね」 森野が云った。 100にエントリーしていた選手たちが整列を始めていた。 河本は予選二組めで、池田君は3組めだ。 「スポーツブランド?」 「えぇ。もとはニューヨークのシューズ専門メーカーなんですが、トータルスポーツブランドとして日本で本格的に立ち上げようと」 「ほーう、でもそれとこの私と」 一体何の関わりが?訊こうとしたときピストルの合図が聞こえた。一組目がスタートした。 ふたりとも一旦会話は中断してトラックに集中することにした。 電光の掲示板にタイム結果が出た。 一着のタイムで10:50だった。 (この調子なら難なく予選突破) いよいよ河本の番。 観客席の方からどよめきが聞こえた。 スタート位置、一番端っこに立つ河本。横の選手たちより頭が二つ分、飛び出ている。なんと言っても筋肉隆々の体格は遠目に見ても圧倒的な存在感がある。 「初めて彼を拝見させて頂きました。女房が云うように凄いですな」 森野が感嘆の声を上げると 「でしょう」横から嬉しそうに女将さんがはしゃぐような声を出した。

(フライングだけはなんとか) ただそれだけを祈るような思いで見つめる。 チーム高城の席から「浩二、落ち着けー!」の声が飛ぶ。

号砲が鳴った。 しっかりと、ゼロコンマ1秒を数えたのだろう。 河本はワンテンポ遅れてゆっくりなスタートだった。 (よし それで十分)

20メートル過ぎで河本は一気にトップに立った。 「うわあ、やったー」 横の森野夫婦が叫びながら立ち上がる。もちろんチーム高城らの席からも怒涛の檄が飛ぶ。

河本はそのままの勢いで難なく先頭でゴールを駆け抜けた。 「やったー」 思わず声をあげながら立ち上がる。

観客席全体からも怒濤のような声が上がったのはその数分後だった。

掲示板に 8レーン(河本)9:80の数字がくっきりと灯った。 二着のタイムは10:48 三着10:53と続いている。

会場全体は嵐のような興奮に包まれた。

ゴール付近では大会の役員たちが集合し、掲示板を指さしながらなにやら協議を始めた。 うちひとりがトランシーバーを取り出した。片方の耳を抑えながら連絡を取った。

「おそらく掲示板の故障を疑っているのでは」 森野がつぶやいた。 「そんなぁ、二位以下を数メートル引き離してのぶっちぎりやん」 女将さんが怒鳴った。

やがてトランシーバを耳にしていた役員が両手で大きく丸のポーズをした。

「確定ですな」 「えぇおそらく」

たちまちの内に河本は取材陣に取り囲まれていた。 取材陣にひとり女性が紛れていたが、言うまでもなく文芸新春社の三好だった。

つづく

※ 言うまでもありませんが、 当記事は フィクションです 万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。

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