小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの花が散ったあとに 1

なにやら女の悲鳴が聞こえた。それは、うっとか、はぁっとかのほんの一瞬。すぐ間近に聞こえた気がし、はっと目覚めたのだった。部屋は闇につつまれ何も見えなかった。
もう一度耳を澄ましてみたもののやはり何も聞こえない。はて・・・?いつもの布団ではなくベッドのような柔らかい感触が伝わる。毛布は首の位置まであった。此処は・・・さらに耳を澄ましてみたものの、時おり遠くでトラックの排気音が聞こえる程度だった。
ようやく眼が慣れてきたのか、薄らぼんやりと部屋の様子がわかり始めた。カーテンがすぐ左側に垂れ下がっていた。やはりベッドなのか天井が低い。先ほどの声を確かめようと身体を右側によじった。
うぐっ。激痛が脳天を貫く。みぞおちあたりに激しい痛みがあった。それでようやく眠気から醒めはじめ、痛みの感覚まで戻ってしまった。

仕方なく首だけを曲げる。すると額に乗せてあったのか湿ったタオルのようなモノが滑り落ちた。腹だけでなく顔全体もヒリヒリ痛い。頭の芯もずきりと痛い。タオルを拾い上げようと腕を曲げたとき、肩にも痛みが走った。
「いっ・・・」びくんと背中を丸める。
また腹が悲鳴を上げる。毛布をたくし上げる。
酒臭い息が毛布の中に充満する。
すると「起きたぁ?」突然声が聞こえたかと思うと、にゅうと女が顔を覗かせた。わ・・・すっと女の手が伸び、びっくりする僕の”ひたい”に触れた。「熱は下がったみたいね」女の顔と声にかすかな覚えがあった。
おぼろげに記憶が戻りつつあった。
あ、・・・・・ミナミの路地裏。

「おぅ、顔はそれ以上やめとけ、ハラ狙え、ハラ」
ぼんやりな街灯に照らしだされた霧雨。ヤクザの顔、顔、顔。
「ヤー公、怒らせるとどーなるか教えたれ」
「すみません、許してください」
「おら、さっきの元気はどうした」

すっかりと昨夜の光景が脳裏に映像となって浮かび始めた。。。。

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1981年3月石坂美央との永遠の別れを終えた僕は、しばらくのあいだ、何もかもがむなしく、辛く、切なく、悲しく。そしてどう云うわけか涙も出ず。
おそらく初めて経験する”枯れた”日々を過ごした。
悪い時は重なるもので、4月になると居心地の良かった営業三課から離れ、一課へと異動になった。
同じ繊維事業部ではあったが、慣れない婦人、子供モノの世界。周囲の先輩たちもエリート臭さがプンプン匂う人種だらけだった。
何かと理由を作っては会社を休んだ。
かと云って遊びに行くでなし、ただ部屋に終日こもった。本を読むでもなく、テレビだけをぼーと眺めていた。ただ眺めるだけで頭の中には何も入らない。だからすぐ飽きる。しかたなくチャンネルを切り、ふて寝をする。そんな繰り返しだけの毎日。

-----仕事も 恋も なにもかもがうまく行き始めていた。ただひとつ、趣味といえるかどうか・・一応の趣味でもあったピアノだけは苦戦していた。けれど怖いものなどこの世にほとんど無い様な気がした。自分たちを中心に地球は回る。そういう確信があった。------ずっと前、手帳に綴った日記だ。それを眺めているうち、無性に怒りを覚え、手帳ごと捨てた。あの“玩具の白いピアノ”も泣いて止める妹の目の前で叩き壊したのだった。
(とことん堕ちてやれ。。。)
そんなある日だった。「酒でもやりながらメシ食べませんか」
噂を聞きつけた泉州アパレル原田社長からの電話だった。

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久しぶりの外出。美味い料理に、酒。なんと云っても親身に気遣ってくれる原田社長の態度や言葉にすっかりほぐれかけていた。
「森野さん元気だして下さいや、ウチで協力できるコトなんぼでもしまっさかい」
「どうも。。。」
「んじゃ、また泉州方面来ることあったら必ず寄ってくださいや、あ、知らんまに雨降ったみたいや、タクシー呼んであげましょうか」
「あいや ぼちぼち帰りますから」
「そうでっか、だいぶ呑んだみたいやけど」
「全然大丈夫です。じゃあ」
「んじゃ」
ビジネスホテルに泊まる原田と別れ、霧雨のなかしばらく歩いた時だった。気づけば道頓堀川の橋の上に来ていた。
ふと宗右衛門町の バー鳥越を思い出し無性にマスターの顔を見たくなった。
その時、ビシャッ水たまりの雨泥を跳ねながら通過するベンツがあった。
そして気付けばベンツに向かって大声で怒鳴る僕が居た。

                                            つづく

※ 言うまでもありませんが、当記事は フィクションです万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。 (-_-;)