小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの花が散ったあとに 6

なにやら篠原さんの呼ぶ声がし、振り返ってみると常に閉じられていた寝室側のカーテンだったが、すっかり全開。
少し遠く、通天閣の先っちょ部分が見えた。
篠原さんは、窓を開け「寒ぅない?」と訊き「こないな時間に部屋に居るんは、一週間ぶりやから空気を取り込まな」と笑った。
「えぇ全然」
少しひんやりした風ではあったが、五月初めの薫る風、もちろん寒いと云うほどでもない。
それにしても。。。憂いの横顔も素敵だったが、彼女の笑顔はなんて素敵なんだろうと思った。
子供たちの登校時間が来たのか、渡船場からにぎやかな声が響き始めた。
船の音、風の音、耳を澄ませば野鳥のさえずりさえも。。。爽やかな朝の始まりは愛(いと)おしい貴重な時間。だがそれは彼女との別れが着実に近づく時間の始まりでもあった。
大阪湾も近いが、通天閣もけっこう近いんだな。。。
なぜかとんでもないモノを発見したような気持ちを抱きつつ洗面に立った。
しげしげと鏡を覗きこむ。顔のアザは、完全ではないにしろ、かなり薄くなっていた。これでなんとか家にも帰れる・・・歯ブラシを手に持ち、(あ、これも彼女がコンビニストア。。。)
ここでのさまざまな会話がよみがえり、大正区全体が不思議な街のように思えてきた。
当時では珍しい、コンビニエンスストア。篠原さんの話では、狭い大正区だけですでに4、5軒の店が競合してるという。また陸上や海上、それぞれ交通網が発達のおかげか大企業などの物流倉庫があちこちに出現。
一方で、幹線道路からひとつ奥に入れば、昔懐かしい商店街や、銭湯も健在。下町の人情豊かで情緒たっぷりな民家が残ってるという。夏ともなれば、オヤジたちは玄関先に縁台を並べ、ビールや団扇を片手に将棋を指すらしい。
「うわ、最高ですね。それ」と云うと
「それだけやない、オキナワもあるんよ」と云った。
「えっオキナワて、あの沖縄?」なんですの、それ。と訊いてみたが
「いつかまた来なよ。そのとき分かる」と笑った。
そしてぼくの眼を見つめ、真剣な表情で「けど、特に用もなければ、来ることないやろね」と寂しくつぶやいた。
「いえそんなコトないです。また来たいです」
「ほんまぁ?無理せんでええよ」
「無理だなんて・・・・」
だが。。。夜中に聴いたあの”うめき声”。。。一度だけならず二度も。やはりただの錯覚じゃなかった気がする。
彼女の身に何かおきつつあるのだろうか。まさかそれともすでに? 
                        
                                ※
初めてそして最後の彼女と一緒の朝食が始まっていた。
対面に座った彼女をそっと伺い見る。
顔色が特に悪いということもなさそう。テレビを見ながらだが、しっかり箸を動かし、食欲も普通のようだった。
だが突然顔をしかめ「うわ、たまらんな」と云った。
「え、大丈夫ですか?」
「大丈夫やないで、あんな渋滞」とテレビを指した。
ニュースでは、明日から始まる連休の渋滞予想を解説していた。
「あぁなんだ渋滞。。。連休はどこか行かれるのですか?」訊いてから(しまった)と思った。
世間の連休にはまったく関係なく、仕事と聞いていたのだった。
すると「まぁそのうちにな」と静かに笑った。
そして別れの時間がさらに近づくにつれ、お互い無口になっていた。
「あのぅ?」
思い切って訊いてみることにした。ここで聞かなければきっと後悔する。そういう気持ちからだった。
「うん何?」と篠原さんは顔を向けた。
「どこかお体の具合、悪いのではないですか」
すると「はぁ!?」と笑い、「このウチが何でやの」と訊いてきた。
「夜中に聴いてしまったんです。とても苦しそうな貴女の呻きを」

彼女は箸をピタっと止め うつむきながら真っ赤に顔を染めた。
明らかに動揺が表情に溢れていた。
「やはり・・・いつからなのですか、医者には行ってるんですか」問い詰めるような口調だったのは間違いない。
彼女はうなだれたままびくともしなかった。
テレビからまたも呑気にゴールデンウイークの特集が流れたしか宇野重吉の息子、寺尾なんとか言う俳優が歌う「ルビーの指輪」がまた流れていた。
やがてようやく篠原さんは顔を上げ云った。「まさか聞かれてたとは、思わへんかった」
え、やはり・・・・「医者へ行くのなら早い方が」

「あほッ 自分で慰めてただけや」
「え?慰めるてナニを」
彼女はさらに真っ赤な顔になって「あほ」と云いながら テーブルのフキンを投げつけ笑った。                          

つづく

※ 言うまでもありませんが、当記事は フィクションです万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。あと、ついでに言わせてもらうならば、これは「ミモザの咲く頃に」シリーズの続編でもあります。(-_-;)