小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの花が散ったあとに 14

川の方角を眺めたまま、佇んでる僕に、篠原さんは
「時間ある?ちょっと休んでいこか」と護岸を指さした。
僕は「えぇ、もちろん」そう云いながら空を見上げた。
太陽は厚い雲に覆われているものの、まだ高い位置にある筈。自分の時間について云うならたっぷりあった。何しろ今日中に家にたどり着けばそれで十分なのだから。。。
そう、とりあえず一旦。いったん帰るだけ。。。。



やはり護岸の上では、やや強めの風が吹いていた。
篠原さんは乱れた髪をかきあげ「今夜あたり、雨かな」と雲行きを見ながら言った。
昨日までの快晴が嘘のような空。それでも対岸では中学生らしきグループが釣り竿を垂らしていた。遠くで、小さくエンジン音が聞こえた。ほぼ同時にふたりとも振り向くと、あの渡し船だった。
「あれに乗ったときも風、強かったですね」
「川は風の通り道やから、いつものことや」篠原さんは、どこか投げやりな返事だった。
しかも特徴あるハスキーな声が、今日はやけに寂しく聞こえる。
ふと、ほんの数日前の渡船でのひとときが、遠い昔の幻のように思えた。もうあの船に乗ることは無いかもしれない、突然そんなことがよぎったのだった。
幻? いまこうして彼女と居ることも夢、幻だと云うのか・・・・

篠原さんは「こんな川でも、見てると気持ち良いわ。座ろか」と腰を下ろした。
「えぇ。」と横に座わるとき彼女の肩が触れた。なにが夢、幻なものか。間違いなく僕たちはここに居る。
冷えたように見えたコンクリートだったが、思いのほか温かい。こんな曇りがちの天気なのに、季節は着実に夏に向かって動き出している。
「今日はあんまり潮の香り、しないですね」
そう言うと彼女は はぁ?と云う表情を向けた。
「するわけないやん、こんな川」
「でもベランダでは、いつも香ってました」
篠原さんは「まさか。そんなぁ」と、川面をのぞき込み
「ウチの鼻、もう麻痺してるかもなぁ」と哀しくつぶやいた。
「ここでの暮らし長いんですの?」
「もう5年。。。。かな」
「え、じゃあ離婚されてから。。。」
途中、あ、しまった。また余計なことを訊いてしまったと思った。
案の定、彼女は黙って頷いただけだった。
思わず篠原さんの肩に手を回し、抱き寄せた。
彼女は、えっ。と僕を見つめた。
あ、この表情。たまらなく好きだ。

「絶対、戻ってきます」

彼女は何か云おうとして唇が少し開いた。が結局なにも言い出せず無言で僕の眼を見つめた。
対岸の中学生らの視線が一瞬気になった。
だが、構うものかと強く抱き寄せ、キスを交わしたのだった。
 その時、ようやく川からは、潮の香りが風に乗り漂って来た。


 ※

とりあえず、いったん・・・

彼女に対してこの言葉を僕はいったい何回吐いたのだろう。
単なる言い訳にも過ぎない言葉の意味。おそらく彼女は見抜いていたに違いない。
だからあんな手紙をわざわざと。。。。。

連休も最終日、さすがに夜の地下鉄車内は閑散としていた。

「途中、絶対に開けないで」
バス停まで見送ってくれた彼女。そう言いながら渡してくれた封筒が気になっていた。

ターミナル駅で、がやがやと乗客たちが乗り込み、車内は急に賑やかになった。だがその一団も次のターミナル駅でまたドっと降りるや再び車内はガラーンと静まりかえった。

いよいよ封筒が気になり、開けようか開けまいか散々悩んだ末、ついに封筒の先を引きちぎった。

 すると、水色の便箋が出てきた。びっしりと、彼女の言葉で埋め尽くされてあった。

                        


   つづく
※ 言うまでもありませんが、
当記事は フィクションです
万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。
あと、ついでに言わせてもらうならば、これは「ミモザの咲く頃に」シリーズの続きでもあります。

(-_-;)