篠原さん宅のベランダに咲いていた白い花。
(カラーと言う名前だったのか・・・。)心の中でもう一度つぶやきながら、図鑑を棚に戻した。別に名前が分かったところで、今さらどうと言うこともない。だがあの花に巡り合わずとも、どこかでその名前を耳にするたび、彼女の面影が思い出される気がした。
しかしまあ、会社にこんな図書室があったとは。営業三課時代何をやっていたんだ俺。そう思いながらぐるりと見渡した。ふと棚の一角に"世界のファッション史”と書かれた本がずらりと並んでいるのが見えた。近寄ってみると、ヨーロッパ、アメリカ、アジアと地域ごとに、それぞれ3~5巻のシリーズになっている。アメリカ編の1巻を手にとってみる。百科辞典を一回り小さくした大きさでズシリと手応えがある。目次を広げてみると、アメリカにおけるファッションの移り変わり、現代、そして未来への展望。またヨーロッパ、アジア各国とファッションの傾向はどのように違うのかなどなど、どれもこれも興味のありそうな内容だ。しかし立ち読みで済ませられるレベルでないのは確か。どうしたものか。。。
ふと図書室なら、借りだしも出来るのでは?ようやくそれに気づき、自然と足は受付カウンターに向かっていた。
※
夕方近く、先輩の原口に連れられ、市内百貨店の挨拶廻りから戻った時だった。
ほとんどの営業が出払ったままの部屋はがらんとしていたが、一足早く戻っていた清水先輩と顔が合った。
「只今戻りました」た」原口先輩と同時に頭を下げる。
清水先輩は「よぉ。お疲れ」と片手を上げ、
「あ、そうそう森野」待ってました。とばかり近寄って来た。
「どうも」
「初めてが多い挨拶廻りやから緊張したやろ」
「いえそれほどでも。。。原口先輩が殆どしゃべってくれましたので」
原口先輩は?と振り返ると、席に着くなり電話に向かっている。
「はは、なるほど。しゃべりの原口な。中沢課長の気配りやな」
「あ、そうなのですか」
「あぁ。で森野」
「あはい」
「急に決まったアレで申し訳ないんやが・・・・」
「はい?」
それまでにこやかだった清水の表情が一変した。
「なんでしょうか」
「今夜、空いてるか?」
「はあ?」
あ、残業の依頼?。。。。
図書室で借りた本を帰宅後の楽しみにしていたが、残業なら仕方ない。
「あはい、大丈夫です」そう返事すると清水は
「ほんまに大丈夫か」と念を押してきた。
「えぇ」
なにせこちらは長期の休み明け・・・・。
「ほんまか、おおきに。ほんじゃあ7時からやよってに。北陸能登」
「え!いきなり出張ですか。用意など何も。。。」
「あ、ちゃうちゃう駅前の。海鮮料理の。。。」
「あぁ。。。」
なんだあの。。。ちょっと高級な居酒屋。
「でも今日はあんまり持ち合わせが。。。」
「はは、心配すなや、君の歓迎会。会費は取らん」
「え僕の・・・・わざわざですか?」
そう訊くと
「ほんま言うと高田やねん」とぼそりと言った。
あぁ。。。なるほどタカタ
彼女は離席中だった。電算室の灯りが点いていた。
「試用期間も無事に終わり、今日から晴れて正社員。で前々から今夜の奴決まっとってん。で中沢が、ついでに・・・・あ、ついでって言い方、失礼な言葉やなあ」
「いえそんなことないです」
「で、ついでに森野君の歓迎会も兼ねたらどうかって。」
「うわ。そうなのですか、ありがとうございます。」
電話の終わった原口が近づいた。
「森野の件、決まってたのですか」と清水に訊いた。
「あぁ、君ら出かけたあとやったから」
「歓迎会の件、よっぽど言いかけたんですわ、けど森野のコト、決まってなかったから言いづらく・・・」
「原口にしちゃあ、上出来や。よー我慢した」清水が笑った。
「じゃそういうコトなら、彼女とともにたっぷり呑んで、喰ってもらいましょう」原口が笑った。
「え、彼女まだ未成年では?」
「いや短大卒やから、ハタチは過ぎてるやろ」清水が笑った。
なるほど短大。。。道理で。
ふと、今夜別の用事があったような気がし、あれこれ巡らせた。
だが結局、図書室で借りた本のことしか思い出せず、(ま、本は明日でもいいか)
そう納得したのだった。
※
”海鮮料理処、北陸能登”は営業1課の馴染みの店とのことだった。その名前通り、北陸地方の新鮮な魚介類が満載。また、それまで苦手だった日本酒も、特産品という地酒がことのほか美味しく、しっかりと味わうことが出来たのだった。まるで大名旅行の気分でもあった。
二階の大広間、主賓席に、タカタとふたり並んで座らせられていた。
「まるで結婚披露宴の主役やな」
誰かのヤジに、場は盛り上がった。仕事も何もかも忘れ、かけがえのない時間を堪能し尽くしたのだった。
「ふーかなり、呑んだわ。あ、お茶きました。森野さんどうぞ」
タカタの腕がすっと伸びた。
と、その瞬間だった。
え。朝も。。。
あ!
あの時 咄嗟に丸めた前村のメモ・・・・・・。
「え、どうかしましたん?」
「あ、いやありがとう」
云いながら腕時計を見た。
もちろん7時はとっくに過ぎ、もうすぐ9時になろうとしていた。
つづく
※ 言うまでもありませんが、
当記事は フィクションです
万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。
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