(まだまぁ若いけん、これからなんぼでん、あろうが)
ふいに、あの駅員の言葉が聞こえた。それは聞こえたと云うより頭のてっぺんから、突然鳴り響いたという感じだった。
はっ。と目覚めると豆球の小さな灯りが見えた。
え。。。ここは?
蛍光灯の豆球だけが照らす薄暗い部屋だが、徐々に目がなれてきた。ネクタイを外したワイシャツのままだった。薄い毛布が掛けられてあり、折り畳んだ座布団を枕にしていた。背中にも座布団が並べられてあった。寝乱れたのか、うち一枚は遠くにずれていた。手を伸ばし掴むや腰に当て直す。
からだを動かしたとたん、頭に痛みが走る。胃がやけに重い。はて?
あ・・・昨夜。
歓迎会でのヒトコマが断片的に浮かびあがってきた。そのとき、枕元で気配がした。は!と首を向けると、スラックスの裾から覗く足が見えた。え?とのぞき込む。
なんと中沢課長だった。同じように座布団の上に寝かされ、毛布にくるまっている。
なぜ課長?。状況が飲み込めずにいた。が、(森野さあん)(おーい森野)タカタと中沢課長が必死に呼びかけてくれた声が甦った。注がれるまま飲み過ぎた日本酒。。。あれほど美味しいものだったとは。だが急に目眩と息苦しさに襲われ。。。。そして徐々に遠ざかり始めた意識。あ、その後の記憶が飛んでいる。。。
と云うことは、課長らにかつぎ込まれ・・・・まさかここ病院?
慌てて部屋を見渡した。だが普通の部屋に見える。いや立派な和室だった。床の間があり、掛け軸がぶら下がっていた。まさか課長の家?だが、座布団の上で寝かされてる姿は、自分と同じ客人に見えた。ぶーんと天井近くから、静かな音が聞こえていた。目を凝らすとエアコンだった。おかげで寒くも、暑くもない。
少し頭痛が残っているが、とりあえず・・・。
とりあえずは大丈夫なんだろう。座布団を背に眼を閉じた。あの駅員の言葉をかみしめた。(まだまぁ若いけん。これからなんぼでんあろうが)駅員は励ますつもりで云ってくれたのだろう。だが。。。楽しいことだけでなく、悲しいこと、辛いことも、いくらでも起きるにちがいない。
ふと
何か忘れ物をしてきた気がした。はて?必死に思いだそうとしたが、酒の抜けきらない頭では思い出せなかった。
仕方ない、もうひと眠りするかと寝返りを打った。
ガチャガチャと鳴らしながら通り過ぎる音が聞こえた。あれはたしか牛乳配達。。。え、もう朝?腕時計を豆電球に照らすと4時すぎだった。しかしまぁ、ここどこの家?
酒に酔うと記憶が消える。ほどほどにせねば。。。見知らぬ部屋に、不安がよぎったが、課長も一緒なのだと思った。課長の寝息を聞いているうちに、ふたたび睡魔が誘う。毛布をたくし上げ二度目の眠りへと入って行ったのだった。
※
カチョーおはようございます。
あぁおはよう。君んちにすっかり迷惑かけてしまった。
なに云うてますのん。
この声。。。。まさかタカタの家?
猛烈な尿意で目覚めていた。鉛の帽子でも被ったかのように頭が重い。胃の違和感は薄れていた。
寝返りを打つと強烈だった尿意も少しおさまる。だがそろそろ起きる時間なのだろう・・・
うーん。。。横向きのまま、背伸びをしてみた。すると
「あ、森野さん気付きはったみたい」
「ほんまか」
課長がのぞき込む気配がし、慌てて起きあがった。
あ痛っ。
ずきりと痛みが走り、頭を押さえる。
「大丈夫か」
課長と目が合った。
「あ、おはようっす」
「おはよう。無理すんな」
「思ったより元気そうやん」
振り向くとタカタは鴨居に手をかけ立っていた。ひとりだけくつろいだジャージ姿だ。
「やあ。で、ここタカタの家?」
「えぇまぁ。。。やっぱ覚えてないんや。夕べの」
「う、うん。ぜんぜん記憶が。。。迷惑をかけたようで。あ、課長も」
「あいや、僕は何も・・・」
そのとき、
「お嬢はん、食事の支度が」
廊下の向こうから太い声がしたかと思うと、印半纏を着込んだ男が顔をのぞかせた。
「あ、すみませんその前にトイレ」
お嬢はんと呼ばれたタカタが
「タケさん。案内を。」と云った。
「へい」
広い屋敷だった。タケさんと呼ばれた男の背中に、高の一字が染めぬいてあった。
「どうもすみません、かなりご迷惑をかけたようで」
「とんでもあらしまへん。お布団も用意できずにすんまへん。打ち直しに出したとこだったんです。で、お嬢はんと同じ職場の方だとか」
「えぇまあ」
つづく
※ 言うまでもありませんが、
当記事は フィクションです
万が一、実在する、あるいは良く似た、いかなる個人名、団体名、地名、出来ごと、などが出現しようとも 一切の関係はございませんので。
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