小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

そして、池上線17

(あら。今日は遅かったですね。授業の居残り?)

低いトーンの、けれど可愛い唇から発せられた声が

耳から離れない。

誰に対しても笑顔を見せるヒトだけれど、いつもは無口で

人に対して、気安く声をかけるタイプの人ではない。

いや、なかったと思う。そう思いたい。

そんな彼女がこの自分に・・・

きっとすごく意味ある、特別なことに違いない。。

(あら。今日は遅かったですね。授業の居残り?)

おそらく50回は頭の中で繰り返しただろう。

そしてその意味を考えつづけた。

けれど問題は、返した言葉。

(え、ままぁ)

くッ。

なんとまぁ情けない・・・もっと気のきいた応えもあったろうに。。。

気分を害している・・・・

いや、たとえ気分は害さなくても、

なんと面白みのない、つまらん男と見ただろう。

きっとそうに違いない。。

一重まぶただが、優しい眼。

そしてなんと言っても魅力のある笑顔を思い出そうとした。

それにしても・・・・彼女。。。

名前。

 たしか胸の名札、高野さん。

ん。下の名前は?

シルバーのリングで束ねた長い髪。けど化粧っけの全くない素肌。

 歳は?

アルバイト?

学部は?

 昼間キャンパスでは見かけない。

他校生?

(あら。今日は遅かったですね。授業の居残り?)

誰に対しても笑顔を見せるヒトだけれど、普段は無口な彼女。

そんな高野さんが、わざわざ言葉をかけてくる。。。

すなわち・・・・・。

ことばの意味をあれこれ考え、勝手な想像が膨らみ、胸が踊った。

だけど、あまりにも素っ気なかった自分の言葉を思い出し

けっきょく最後には沈みこんでしまった。

その日は、彼女のひと言で卒論に集中できなかった。

それどころか、せっかくの野口冨士男“風の系譜”

(その12)まであるのに、きのうと同じページ

(その4)の3行と読み進めず、新助の名前が行ったり来たりしたまま。

かと言って、寮に戻れば高校時代の友人との共同暮らし。。。

やはり集中して勉強するにはここ図書館しかなく・・・

図書館

あ!

返却期限・・・

そのとき急に返却のことが気になり始めたのだった。

借り出し票・・・

しまった。入り口手前のロッカー、リュック。。。

ん!?

返却日の確認を口実に、会話のチャンス・・・

そしてそれは名誉挽回のチャンス!?

胸の高鳴りを感じつつ、勢いよく立ち上がったのだった。

西陽はすっかり傾き、街灯がまばゆく照らすキャンパスとなっていた。

つづく

今更ながら、言うまでもありませんが、当シリーズはフィクションです。 従いまして、地名、名前 等はすべて架空のものです。万が一 同姓同名同社の方が居られましても、なんら関わりは御座いません。