「そちらの勝手に付き合ってるヒマなぞ御座いません」
まさに電話を切ろうとした瞬間だった。
マブチの、あーと云う絶叫が聞こえ
「き、切らないで、さ、佐伯勇次さんご存知ですよね、
さ・え・き・ゆ・う・じッ」
電話を追いかけるかの如く、声が飛び込んだ。
一瞬にして30年が戻った様な気がした。
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4月なかばの山裾の村では、日の暮れるのも早い。
午後6時も過ぎるとなれば、すっかり周りは闇が支配する。
普通であれば、見知らぬ男の訪問など、当然お断りをするところだ。
マブチがやって来たのは、約束の6時を5分ほど過ぎたところだった。
「いやあ、少し迷っちゃいました」
電話で受けた印象以上に、気さくな雰囲気を醸し出している。
誰かに似た顔だと思ったが、直ぐに思い出せない。
同世代にも見えたが、案外若いかも。とりあえず人畜無害な男であることは確かだ。
それより何より、今さら奪われるものなど、何ひとつ無いことに気付くや
ぷっと吹き出した。徹夜仕事つづきで、風呂もここ2日は遠のいている。
「え?」
「あ、失礼」
「どうぞ、こんな場所ですが」
「ほーう、これが窯場ですか。凄いもんですな。素晴らしい」
よほど珍しいのか、立ちすくみ、きょろきょろ見回しながら感心している。
「さ、どうぞこちらへ」
放っておけば、いつまでも佇みかねない雰囲気だ。
馬渕を応接がわりにしている事務机と椅子へ催促するや、茶の用意に走った。
「あ、どうぞお構いなく」
ん!?
背中の言葉で思い出した。数年前に亡くなった俳優、あの愛川欣也にそっくりだと思った。
「それにしても、よくぞこんな辺ぴな場所、わかりましたのね」
すると、ずず~っと派手な音をたて茶を啜るや
「カーナビのおかげですわ」
「カーナビ?」
「えぇ、便利な世の中になったものです。GPSとやらで、衛星からの位置情報で」
「まさか東京からお車?」
「と、とんでもない。宮津からレンタカーです」
「なるほど」
「明日からの土日、おかげさまで丹後半島巡りを楽しめます」
「それはそれは」
まるで、仕事より、丹後めぐりが嬉しくて嬉しくて仕方ないと言わんばかりに愛好を崩した。
「で表の軽トラック、あなたの?」
「えぇまぁ」
「ほー。凄い」
「あれがなけりゃお手上げですの、薪運びやら」
「あー」
「え?」
「この湯呑み茶碗。貴女さまの?」
馬渕は、湯呑み茶碗をしげしげと見回すや、感触も味わっている。
「えぇまぁ」
「す、素晴らしい。この手触り、渋い色合いや、この模様。。」
「それはどうも。で、それより。。。。」
今は湯呑み作品のことなどどうでも良い。もっぱら知りたいのは30年前の青春だ。
馬渕もさすがに、察知したのか
「あ、すみませんつい。。。で。」
きっ。と向き直ったその眼は、刑事を思わせる鋭いものだった。
※
「何からお話しましょうか、あれこれ考えて来たんですがね、やはりまず、これをご覧ください。」
馬渕は一枚のプリントを差し向けてきた。
どうもと、受けとるや、まず、初恋捜しの文字が目に飛び込んだ。
なんとまあ・・・
お手伝いします。あなたの初恋捜し。。。
「これを佐伯君。。。いや佐伯さんがご覧に。。。?」
「え、まぁ。実は。。。」
ん?
それまで饒舌だった馬渕が、めずらしく黙り込んだ。
「西崎とも代。て小説家ご存知ですか」
ご存知も何も、大ファン作家のひとりだ。
女性にしては硬派を貫くタッチが読んでいて心地よい。
「もちろんですわ」
馬渕は女流作家の名前を挙げ、ことの成り行きから説明を始めた。
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「そ、それでこの私を。。。。」
「気分を害されたなら申し訳ない」
「と、とんでもない。。。。。」
まさかの奇跡だと思った。30年ものあいだ、こんな自分を慕い続けてくれていたとは。
しかも大ファン作家が一枚噛んでいるとは。
そのいわゆるひとつの奇跡に気付くや、感動だと思った。
ドクンっと胸が震えた。目頭が熱くなり、堪えようとするも
次から次へと、あふれ出る泪を抑えきれない。
「ま、馬渕さん。。。」
「は、はい」
「な、泣いても良いですか」
「えぇもちろ。。。」
勿論の言葉を遮り、声を上げしばらく泣き崩れた。
「せ、先生。大丈夫ですかあー」
大声を上げながら雪乃が飛び込んで来たのはまさにそのタイミングで、
雪乃を説得するには少しの時間が必要だった。
つづく
今更ながら、言うまでもありませんが、当シリーズはフィクションです。 従いまして、地名、名前 等はすべて架空のものです。万が一 同姓同名同社の方が居られましても、なんら関わりは御座いません。