小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

そして、池上線41

何度目かの寝返りを打った。

いつもなら、かすかな音でしかない柱時計の針の音がやたらと響き、海鳴りの音は聞こえない。

けれど風は海の方から吹いている。軒先きの仕舞い忘れた、もの干し竿がうるさい。

 

「あらぁ、やっぱ外に出ると潮の香りが凄いですな、じゃっ私はこれで。」

まさかの30年前を運んでくれた馬渕との会話が何度も蘇った。

 

明日。。いや日付も変わり正確には今日からの土日。久しぶりに決めた休日。

ま、少しぐらい眠らなくても良いか。もう少し、余韻に浸っていたい。。。

・・・・・・・・・・・

あ、でもこれ、もしかして今日起きたコトすべて、あの夢のつづき?

そっと頰をつねる。。。

なにやってんだ乙女みたいに。

 

 

「あのーう少しお聞きして良いですか。あ、佐伯様からのご依頼は、現在のあなたの消息なんです。

ですから答えたくない場合、そう仰ってください」

馬渕は、ひと通りの質問を終えたとき、遠慮がちに訊いてきた。

それまでの馬渕の態度は誠実さと、人柄の良さが随所に溢れ、すっかり好感を覚えるものだった。

何より30年前の青春と、還暦も過ぎた今の私を、一本の線で繋いでくれた馬渕憲一。

仕事とはいえ、はるばる東京から丹後の田舎にやって来てくれた馬渕の存在を思うと、その縁(えにし)にも胸が慄えた。

何に対しても正直に答える用意はできていた。だが

 

「いやあ、驚きました。なんでまた陶芸家の道など?」

 

現住所を探りあてるのに住民票をたどって来たと馬渕は正直に言った。

でもさすがに紙切れだけでは人生の軌跡まで、なぞれないらしい。

 

「30年。。。。語るには短くても3日かかります」

30年を思い出し、せっかく止んだ涙がまた出そうになった。

泣き顔を馬渕に見られまいと、顔を背ける。すると

 

「あ。す、すみません。余計なこと訊いちゃいました」

馬渕はすっかり慌てふためいた。

「い、今の質問忘れてください」

こっちが慌てる番だった。

「あ、そうじゃないんです。ただ。。。」

「えぇ」

「こんな私にも、色々あり過ぎました。ですから、どこをどう。どのようにお話して良いのやら頭の整理がつかなくて」

「あ、そりゃあそうでしょう。わかります」

「あのーぅ」

「えぇ」

「土、日は丹後半島めぐりとか」

「えぇまぁ。こういうの滅多にない機会ですから」

先ほどまでのニコ顔に戻る。

「よろしければご一緒させていただけません?おいおい積もる話でも」

「え!良いのですか?」

「ご迷惑じゃなければの話ですけど」

「うわぁご迷惑だなんてとんでもない。いやあ光栄です。うわぁ愉しみですぅ」

 

前職は刑事だったという馬渕。ふと愛川欣也の人情味溢れた刑事番組を想い出した。

 

「あのーう、ひとつ訊いていいですか」

「はい?」

「佐伯くん。。。いや佐伯さんはまだ文芸新春に?」

「いえ、今は独立され出版社社長です。風の系譜社って」

風の系譜。。。。。。

 

なんとまぁ。ドクンとまた胸が慄えた。野口冨士男・・・・・

 

今夜は やはり眠れそうにない。

彼についても色々聞きたいことがあると思った。

 

寝返りをうつと遠くで海鳴りがようやく聞こえた気がした。

 

つづく

 

 

今更ながら、言うまでもありませんが、当シリーズはフィクションです。 従いまして、地名、名前 等はすべて架空のものです。万が一 同姓同名同社の方が居られましても、なんら関わりは御座いません。

※なお当シリーズで使用の画像は 写真素材 足成様より頂いています。