小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

そして、池上線43

中庭から覗いた空は雲ひとつない青空が広がっていた。

だが、半島めぐりのドライブの筈が、何となく出かける気になれずに居た。

 

朝方に聴いた熊本地方の地震ニュースの影響なのだろう。

馬渕も同様な雰囲気を漂わせ、特段珍しくもない、古い家の佇まいとかを、しきりと口にした。

 

「いやあ、この廊下を歩くたびの音がたまりませんなぁ。」

「え?これの一体どこがですの」

「子供ん頃の夏休み、お婆ちゃんち、田舎を思い出すんです」

「ほーう田舎はどちらで、あ、お茶でも煎れますわ、どうぞこちらで。。。」

 

馬渕を客間に案内するや心に決めた。

さあ、しばらくはここで30年の想い出話など。。。。むろん馬渕に聞かせると云うよりも

その向こうで耳を澄ませる佐伯勇次に聞かせる話。

それを思うとまたも、万感込み上げるものがあった。ハンカチの用意とかも。。

 

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「なぜにまた陶芸家など?そう仰ってましたけど、なぜまた離婚を。まずそこから訊きたいんじゃありません?」

そう話を振ると馬渕は 飲みかけの茶をぐふっと咽せた。やはり根が正直な男なのだろう。

「あ、いやそんな。別にそこまで私は。。。」

口ではそう言いながら、真相が訊きたいとハッキリ顔に書いてある。

「なぜまた名誉ある東大の教授夫人という地位を捨てた。さぞかし第三者から見れば不思議ごとなのでしょうね」

「やはり歳の差ですか?」

「ぷぷ。想像力が貧困ですわ」

「あ。いやその。。。」

照れ隠しに頭を掻く仕草は、絶対に愛川欽也だと思う。

「そもそも私の方から好きになり押しかけた口ですの。学生時代高野のクラスでしたの」

「え、東大だったのですか」

「いえ、早稲田。。高野が東大に移ったのは結婚3年目の年で」

「なるほど。しっかしまぁ見かけによらず情熱家というか、進歩的というか。。あ、まさか高野教授は家庭持ちだった?」

「残念でした。当時バツ1の独身。。。で、馬渕さん」

「あ、はい」

「丹後の山奥から独り東京へ。。。その時点で、今で云う跳んでる女ですわ」

「あ、言われてみると確かに。。。でも貴女の方から押しかけるほど好きだったのが、なぜまた」

そう。。。なぜまた。誰しも思うことだ。この私だって心の変異が今思えば不思議。。。

だが、男たる生き物、見かけだけで判断するととんでも無いことになる。。。

 

「馬渕さん、冬彦さんてご存知?」

「あ、あのテレビドラマの奴ですか」

一世を風靡したドラマ。さすがの馬渕も知っているようだ。ならば話が早い。

「当時の私、まさに冬彦さんドラマの世界に居りましたの」

「うわぁなんとまぁ、それは悲劇」

「高野が東大に移籍できたのも、姑の力もあるのです。義母は東大学長の妹と云う立派な方で」

「なんとまあ。。。。」

「ですから。。。。」

「あ、はい」

二度と振り返りたくない過去だった。

が馬渕、そしてその向こうの佐伯勇次には やはり聞いて欲しいし、

なぜだか話す義務があるような気がした。

 

「若気の至りで押しかけたものの、実の顔は、あの冬彦さんそっくり。姑の言いなりで自分というものが何もなく。。。豪邸とか、教授夫人とかそんなの、幸せにはなんの関係も無いことですわ」

「。。。。そんな時に佐伯さんと出会い。。。」

「えぇ、唯一の希望でした。たった4ヶ月ほどのお付き合いでしたけど、その4ヶ月が今の私を作ってくれたと思います」

「大げさな」

「何が大げさなものですか」

つい声を荒げてしまった。

「あ、す、すんません」

眼の前の愛川欽也が小さくなって、頭を下げた気がした。

 

だがそれ以上に私を驚かせたもの。ハッキリと佐伯勇次の顔が目の前に浮かび上がったのだった。

 

「野口冨士夫の風の系譜ってありますか」

今でも覚えている記念すべき彼の初めての言葉。

 

それがなんと今では 風の系譜社 社長だという。。。

 

 

つづく

 

 

今更ながら、言うまでもありませんが、当シリーズはフィクションです。 従いまして、地名、名前 等はすべて架空のものです。万が一 同姓同名同社の方が居られましても、なんら関わりは御座いません。※なお当シリーズで使用の画像は 写真素材 足成様より頂いています。