小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

そして、池上線44

「野口冨士夫の風の系譜ってありますか」

今でも覚えている記念すべき彼の初めての言葉。

それがなんと今では 風の系譜社 社長だという。。。

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「あのーう、ひとつ私の方からお訊きしたいんですけど。。。」

少し迷ったあげく、そう告げると馬渕は

さあ何でも訊いてくださいなと言わんばかりに

「どうぞどうぞ、何でも」と胸を張った。

 

どこまで人が良いんだ、この人。。。

 

「佐伯くん。。。あいや佐伯さんの会社、風の系譜社って少し変わった名前ですわね、そのこと何かご存知かしら?」

「そのこと。。。。と仰いますと?」

「え、えぇ。。名前の由来とか。。。」

 

言ったあと、しまった。と思った。いくら探偵とはいえ、そこまで知るわけないか。

だが、馬渕は表情のひとつ変えずに

「あはは、由来ね。西崎先生も同じこと仰ってました。」

「西崎先生も?」

「えぇ。社名として、絶対おかしい。絶対に由来の秘密があるはずと。で先生とこのミドリって子に聞いたんですけどね、学生時代、とっても大切な思入れがある名前だとかなんとか、

ただ。。。。」

「ただ?」

「ただ、その肝心の大切な思入れ。その理由まで聞きそびれちゃいました。あ、今度訊いておきましょうか?」

 

「あ、いえ。とんでもない、そこまで。。」

大切な思入れ。。。その言葉だけで充分。

胸が震えるほど充分な答えだと思った。だが

あ、いやまてよ、単なる卒論のテーマがその理由かもしれない。

 

あ、いやいや。こうして30年も思い続けてくれて居たのだ。目の前の馬渕が証明している。

それを思うと、またも胸が熱くなった。

 

そのとき突然、クワイ河マーチが鳴り響く。

あちゃー。私としたことが。マナーモード、し忘れてる。。。

 

「し、失礼。雪乃ですわ」

馬渕は一瞬ドキっとしたかの表情で眼をぱちぱちさせ、

それでも「さ、どうぞどうぞ」と手を振ってくれた。

雪乃の名前に反応する様を見てると、よほど昨夜の一件がこたえたのだろう。

 

「雪ちゃん、どうしたの?」

(先生、大丈夫ですぅ?馬渕さんの運転、確かですぅ?変なことされてません?)

雪乃も、よほど馬渕のことが気になるらしい。

馬渕に背を向けながら立ち上がった。

ん?それより携帯から流れる背後が騒がしい。新幹線のアナウンスらしきものが聴こえる。

まさか?

「大丈夫も何も、まだ家なの。馬渕さんとすっかり話し込んじゃって。それより貴女こそ今どこ?まさか新幹線?」

(あは、わかります?もうすぐ広島駅)

え?と時計を見上げると10時前だった。なんとあれから一時間ちかく馬渕と話し込んでいる。

「し、新幹線て、なぜまた広島?」

(いえ、目的地熊本なんです)

「く、熊本て、今大変なのよ」

(えぇ、ですから居ても立っても居られなく。でボランティア仲間と)

 

なんとまあ。。。直ちに行動に移せるその若さが羨ましい。

そして、何よりその精神が嬉しい。

 

携帯のフリップを閉じながら

「せっかくの連休、ボランティアですって」

 

馬渕に聞かせると云うより、独り言のように呟きながら座り直した。

「吉岡さん」

「は、はい」

「いやはや、すっかり安心致しました」

「はい?」

「佐伯社長に、安心して報告できます。」

「え?」

「住民票だけでは判断を誤るところでした」

「・・・・・?」

「貴女を慕う子が身近に。しかもその子は熊本の震災に直ぐに駆けつける。

いやはや、凄いことじゃないですか。実に頼もしい。実に羨ましい。住民票だけでは寂しい独り暮らし。でも実の家族以上に貴女を慕い続ける頼もしい娘。。。」

 

なんと馬渕はハンカチを取り出し目を押さえた。

 

はッ。言われてみると確かにそうだと思った。

独りは独り。でも決して独りではない。

 

だが ここに来るまでの30年・・・・

 

「馬渕さん」

「は、はい」

「安心するのはまだ早くてよ」

 

そう云うと馬渕は飲みかけの茶をグフつと咽せた。

 

「覚悟は良いかしら」

「覚悟と仰いますと?」

「離婚後の30年。。。。語らせてもらいます。今から。。。」

 

 

 

 

つづく

 

 

今更ながら、言うまでもありませんが、当シリーズはフィクションです。 従いまして、地名、名前 等はすべて架空のものです。万が一 同姓同名同社の方が居られましても、なんら関わりは御座いません。※なお当シリーズで使用の画像は 写真素材 足成様より頂いています。