小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

そして、池上線51

すすり泣くようなファドのBGMがより心を揺さぶった。

瞼が熱くなり、こらえても涙がひとしずく流れ始めた。

 

「もっと泣いてもええよ」

 

そう馬渕が言っているような声が聞こえ、

気づけばとうとう堰を切ったダムのように泣き出していた。

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丹後に舞い戻り、母を見送ったのちの半年を除き、

涙とは無縁の6年間だった。無意識・・・いや意識的にも涙を我慢し、

やがて、いつしか哀しいドラマや映画を観ても涙とは無縁の女になっていたはず。

大笑いによる、笑い泣きで流す涙があった程度の、氷の女。。。

 

だが、この馬渕憲一・・・・

はるばる東京からやって来た男。30年の時をぐいって引き戻させ、

いきなり初日から大泣きさせ、そしてまたもの号泣。

いったい何度泣かせたら気が済むと言うのか。

6年分をたった二日で一気に流れ出したて感じ。

けれど意外にも、流したあとは、心地よきものだった。

すなわち、知らず知らずのうち、溜まりに溜まっていた“何か”を吐き出させてくれたと言うのか。目の前の男に。

 

「落ち着きましたか」

ようやく泣き止んだ頃を見計らって馬渕が声をかけてきた。

「す、すみませんでした」

「いやいや」

ファドにしては珍しい男性の歌声に変わっていた。

「あ、やっぱファドは女性歌手に限るな」

同じことを考えていたのでつい

「くすっ」と笑う。

「あー」と馬渕。

「え」

「やっぱ貴女は笑顔が似合います。素敵です」と言った。

 

 

陽も傾きかけ、日本海の色も赤に染まり始めていた。

「うわあ、ここにも絶景スポットがあったのですね」

最初、馬渕が口にした場所は、雑誌その他で必須条件のように紹介されている場所だった。

だが単に周囲を土産物、旅館、飲食店が立ち並び、要するに商業的に紹介せざるを得ないだけのスポットに過ぎない。

 

「ここ、地元民だけの鑑賞スポットですの」

「なるほど、海だけでなく、棚田の景色、こりゃあ、たまりません。

す、凄いッ。凄い絶景です」

馬渕はデジカメを取り出し、しきりにシャッターを押していたが、

ファインダーをいきなり向けてきた。

 

「え」

「すみません、貴女を撮らせてもらっていいですか」

 

どくんっと胸を打つものがあった。

「ま、まさか佐伯くんに?こ、困りますわ、こんなお婆さん顔。。。」

 

「あっ、それもありかな。気づきませんでした」

 

「!。。。。って、あ、あのね業務上の写真、報告の為。。。」

「あはは、そうですね。僕としたことが、いやあ単なる個人的に貴女を撮りたくて。。つい。。。」

「つい?」

 

「貴女が素敵なものだから是非。。。。一枚」

 

愛川欣也そっくりだった筈の男。

いつしか昔見たフランスの映画俳優の面影が重なっていた。

 

得体の知れない、何か胸を揺さぶるものが沸々と込み上げてくるのだった。

絶景の、そして静かに岩に砕ける日本海の波、風、夕日。。。

 

それら全体が織りなす男と女。奇跡の運命の瞬間。。。

 

いや、始まりだったのかも知れない。

 

つづく

 

 

今更ながら、言うまでもありませんが、当シリーズはフィクションです。 従いまして、地名、名前 等はすべて架空のものです。万が一 同姓同名同社の方が居られましても、なんら関わりは御座いません。※なお当シリーズで使用の画像は 写真素材 足成様より頂いています。