得体の知れない、何か胸を揺さぶるものが沸々と込み上げてくるのだった。
絶景の、そして静かに岩に砕ける日本海の波、風、夕日。。。
それら全体が織りなす男と女。奇跡の運命の瞬間。。。
いや、始まりだったのかも知れない。
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海からの少し強く吹いていた風はいつの間にか止んでいた。
なぜか二人とも無口に黙り込んで、しばらく真っ赤に沈みゆく太陽を見ていた。
だが馬渕は、静かに鼻歌を歌いだした。一瞬、ファドかと思いきや、
むかし懐かしい青春ドラマの曲だった。
ところどころ音程が外れているが、間違いない。
「青い三角定規。。。ですわね、それ」
「あ、わかりますぅ?」
「もちろん。。。君は何を今、みーつめてるの。。。。」
おそらく40年ぶりだろうけど、すんなりと歌詞が出てくるのが可笑しい。
「貴女そのものじゃないですか。。。濡れた瞳で。。。。て、つい」
馬渕の照れたような声がかすれた。
「え」
眼を合わせると、馬渕の方こそ眼が濡れているように見えた。
ま、まさか、この私を思っての涙?
そう思うとまたも何かが胸を揺さぶる。
「哀しみや苦労を乗り越えたこそ、今があるんでしょうな」
あ、馬渕のこの、低音の。。。
声に女は弱いと云うが、確かにその通りだと思う。
それらは松浦や、佐伯勇次にも共通するものだった。
「苦労。。。そんなの誰しもありますわ。苦労知らずな方なんて多分この世に居ないんじゃないかしら」
「でも貴女のは桁が違う」
「・・・・・・・まぁそうと言われればそうかもね。でも振り返るなら、結構楽しかった人生かと」
「強がりを」
「強がってなんかいません」
云ったあと、なぜかムキになっている自分が可笑しい。
「本当ですわ、東京を離れたあとこれがまぁ、最高でした。それなりの苦労はありましたけど」
馬渕の表情が一変した。
「それそれ。是非お聞きしたいと思ってました」
「はぁ」
馬渕は手帳を取り出し、いつしか業務言葉づかいになっている。
それがまた寂しい。
「地方を転々とされましたね、茨城に栃木。ここらはまだ関東圏としても、やがては北陸、石川に福井。。。なぜまた」
「窯元の修行ですわ」
「窯元?」
「えぇ」
「茨城や栃木にもありましたっけ?」
「ご存知ありません?」
「えぇ、そっち方面はまったく」
「茨城は笠間焼を皮切りに、栃木は益子焼、石川は九谷、あ、九谷焼はご存知でしょう?」
「えぇ九谷は」
「福井は、越前焼、最後にふるさと丹後。。。。」
「なぜまたそんなに」
「焼きもの。と一口に云っても、それぞれに特徴がありますの。。。
そのときカサっと音がし、慌てて振り返る。
背後の空はすっかり濃紺から黒、夜の色へと変わっていた。
上弦の月が出ていた。
「あ、いけない。暗くならないうち、貴女を送り届けなきゃ」
「え、えぇ。。」と返事したものの、
もう少し馬渕と過ごしてみたい気分だった。
「上弦の月がきれい」
「ほー、あの形が上弦て云うんですか」
「右半分が光っているのが上弦、左半分なら下弦。。。」
「詳しいですな」
「畑仕事も、やってますの。月齢が頼みの綱ですの、種まきのタイミングとか収穫の時期とか」
「え、畑。。。」
「と、云っても裏庭。。食べる分だけ少しばかり。。」
「うわぁいいなあ。僕も引越して来ちゃおうかな丹後半島」
そう云って馬渕は、陽も沈みすっかり暗くなった、丹後の海を眺めた。
「今なんと?」
「ここへ引っ越し」
「え」
それから、しばらく無言で、お互いを見つめ合い、
話す言葉を探した。
だが
「あはは。じょ、冗談ですよ」と馬渕は眼を逸らした。
つづく
今更ながら、言うまでもありませんが、当シリーズはフィクションです。 従いまして、地名、名前 等はすべて架空のものです。万が一 同姓同名同社の方が居られましても、なんら関わりは御座いません。※なお当シリーズで使用の画像は 写真素材 足成様より頂いています。