小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

そして、池上線54

「明日、予定を早めて昼前にします。新幹線。。。」

と呟くように云った。

とっさ的に身体が反応した。

馬渕の腕を引き寄せ、

「お願い、帰らないで。。。。」

と言った。

 

どこか遠くで聞こえたようにも思えたが 紛れもなく私の声だった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

左の腕を捕られたまま、えっと馬渕が振り向いた。

 

はッと我に返る。

「あ、いえ違うんです・・・・そうじゃないんです。そのう何て云うか、、、そのぅ」

何を言いたいんだ私。。。

あたふたと、慌てる自分が情けない。

 

すると馬渕は、やんわりと腕をふりほどき、フロントガラスを覗き込んだ。

しばし沈黙していたが、

「来週ごろかな、満月は」と言った。

「はい?」

何を云ってんだこの人も・・・・

「つい先週です、偶然に識ったあることわざ。。。いや格言だったかな。

それがずっと僕の耳に貼りついてどうにもならんのです。」

「はぁ。。。」

 

「知ってます?『月と恋。満ちれば欠ける』ってやつ」

 

シュンシュンシュン・・・・・

キュルル。。。。。。

 

「ご近所に迷惑ですね。エンジン切ります」

馬渕はそう言いながらイグニッションキーを捻った。スモールランプも消し、

静寂と闇が訪れた。ふたりの空間を狭め、より近くなったようだった。

馬渕はじッと見つめてきた。

しっかり見つめ返す私。

 

「今さら恋なんて僕には無関係だと先週、思ってました。けど、

今の僕。。。あ、僕なんて表現もなんか薄気味悪いですね、俺。いや私、

貴女に恋しちゃいました。でも。。。。。

満ちると欠ける。。。。実際そうだと思います。男って奴は特に。。」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「ですから。。。。」

馬渕が言葉を続けようとした時、ガラガラガラ。。。と音が鳴った。

はっと振り返ると、隣の老婆が身体を折り曲げ、押しグルマに委ね、よたよたと歩いて来る。郵便ポストの横を通り過ぎた。

脇には回覧板らしきものを挟んでいた。

あ。きっとウチ・・・・

「少し待っててくださる」

馬渕に言うや、さっとクルマから降りた。

 

「あんれまぁ紫織ちゃん」

この老婆にかかれば、還暦を越えた私でも“ちゃん”扱いなのが嬉しい。

「回覧板、ご苦労さま」

「お客様け?」

しきりとクルマの中を覗き込もうとする。

 

「え、えぇ。はるばる東京から、陶器の買い付けで」

とっさの嘘が情けない。

「ほらぁよかった、お店も繁盛。何よりじゃ、鈴子さんも喜んどろぅ」

「えぇ。。。ありがとうございます」

「ほんじゃな」

そう言い残し、背中を曲げ、ガラガラよたよたと引き返して行った。

見送っているうち、フイに母親の背中とダブり、胸を突き上げるものがある。

回覧板を胸に抱きかかえ、夜空を見上げた。

斜め向こうには上弦の月が輝いていた。

「母さん。。。どうかこんな私。。いつまでも見守ってて下さい・・・」

 

助手席に乗り込まず、運転席側に回り込んだ。

パワーウインドを下げた馬渕に

「明日、宮津駅伺います」と言った。

「え」

「ぜひお見送りさせてください」

「え、でも」

「先ほどおっしゃりかけた、『ですから』のあとが訊きたいですわ」

すると馬渕は、はにかんだ顔を向けながら

「あぁ、あれ。。。なんでもないんです」と笑った。

 

この笑顔。。。これまた素敵だなと気づき、

 

今夜もまた眠れそうにないなと思った。

 

 

 

つづく

 

 

今更ながら、言うまでもありませんが、当シリーズはフィクションです。 従いまして、地名、名前 等はすべて架空のものです。万が一 同姓同名同社の方が居られましても、なんら関わりは御座いません。※なお当シリーズで使用の画像は 写真素材 足成様より頂いています。