小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

そして、池上線56

(第三部 終章)

 

きょう一杯は、穏やかな晴天が続くでしょう。明日からの関東地方は西から近づく低気圧の影響で。。。

 

天気予報を途中で消した女房が

「日曜、雨だって」と呟いた。

 

ベランダを覗くと、窓の向こうには突き抜ける青空が広がっていた。

「あ、そう」

「あ、そうじゃ無いじゃん。たまには土曜、休んじゃいなよ。今週休めるかもって言ってたじゃん」

「言ったっけ」

「なにそれ」

「けど。。。。」

「はいはい、わかったわかった。もうええわ。普通のサラリーマンと違うもんね、

一応は社長さんだもんね。あ、明日は休めるんでしょう」

「あたりまえじゃん」

 

ぼやく女房の愚痴を背中で流し、自宅を出る。

 

見上げると、やや雲があるものの青空が広がっていた。

 

寒くも無し、暑くも無し。風も穏やか。。。

だが、昨夜熊本地方を襲ったマグニチュード7.3の地震ニュースが心を重くしていた。

胃のあたり、鉛でも呑み込んだような。

 

東北だけでなく、熊本も。。。

日本は、地震列島。頭ではわかっていたつもりも、身近で発生するまで、特段意識もしなかった自分。

そして。。。

数年も前から噂されている首都圏直下型地震。。。

そろそろ本気で対策をすべきか。

 

土曜は、出版物取次ぎ販社が休みと言う会社も増え、何時もなら電話もメールもなく

やり残した事務整理、企画書作成作業に没頭する気でいた。

だが、事務所に入るなり、電話が鳴り響く。

 

「はい、風の系譜社」

「久しぶり。田中です」

新日本販社、田中部長じきじきの電話は珍しいことだ。

「田中部長どうもです」

「『天の夕顔』、在庫あります?」

 

天の夕顔。。。独立第1作目の記念すべき本。中河与一による表題作や、横光利一久坂葉子。。

知る人ぞ知る、名作家たちの純愛物を集めた復刻版。

だが地味な作品ゆえ、初版3000部を刷っただけ。

 

倉庫がわりのクローゼットを眺めながら

「在庫ですか、確か5、600はまだ・・・」

 

すると電話の向こうから 安堵の吐息が聞こえた。

「よかった、全部頂きます」

「え。全部ですか」

「もちろん月曜着。。。あ、いや日曜着で」

「了解。毎度ありがとうございます」

 

だが、それだけで終わりではなかった。

取次ぎ販社以外にジュンプ堂、紀ノ川書店などの大型店と直接の取引もあり、

その両大型店からも問い合わせの電話が続いたのだった。

 

10冊でも何とかなりませんか。

悲壮感あふれる、相手の懇願するような声だった。

 

新日本には、5、600としか返答していない。500だったことにすれば、

残り50冊ずつ送れる。

「了解しました。何とかします。けどなぜまた急に?」

「ご存知ありません?」

「えぇ・・・」

「西崎とも代先生です」

「はい?」

「先日出演されたワイドショー、お勧めの一冊で紹介されたんです」

おかげでお客様から注文や問い合わせの電話が殺到し。。。

 

 

ひと仕事終え、ようやく西崎に連絡がとれたのは、夜8時も廻っていた。

 

「おー佐伯社長。ちょうど良かった、電話しょうと思ってたとこ」

「え」

「馬渕さんから電話ない?」

「えぇ未だ」

「明日、東京に戻ってくるってよ。んで出来れば報告会を夕方にでもって。丹後半島の件」

いよいよか。。。なんという日だろう。との感慨に耽る。

だが。。。。

 

朝方、女房の愚痴を浮かべながら

「明日は日曜。。。それに。。色々と」

 

すると

「じゃあ仕方ないね、断っとくわ」

強引な西崎にしては、あっさりだった。

「月曜なら」

「了解。じゃあ」

 

あ、先生。本の紹介、ありがとう。。。との肝心の言葉を伝えきれないうちに、西崎は電話を切った。

 

あとで訊けば、執筆中で悪戦苦闘の真っ最中だったらしい。

 

 

 

つづく

 

 

今更ながら、言うまでもありませんが、当シリーズはフィクションです。 従いまして、地名、名前 等はすべて架空のものです。万が一 同姓同名同社の方が居られましても、なんら関わりは御座いません。※なお当シリーズで使用の画像は 写真素材 足成様より頂いています。