「おとん、携帯震えてるじゃん」
リビングに入ってきた勇一の声で、はッと目覚める。
ん?あぁ。
ソファーに寝っ転がりテレビを観ているうち、すっかりうたた寝をしていたようだ。
周囲はすっかり日も暮れ薄暗い。昼過ぎからの雨音は断続的に聞こえていた。
ガラステーブルの上で点滅しながら震える携帯を掴み上げると、馬渕からだった。
さりげなく勇一を振り返る。リモコンでDVDの録画予約に夢中になっていて、オヤジの電話どころじゃ無さそう。
まぁ、いつものことだが、今回はありがたい。
月曜の件だと思いながら
「どうも、佐伯です」と言うと
(先ほど東京に着きました、今からお会いしたいのですが)と聞こえた。
「はあ?たしか明日・・・月曜だと。。西崎先生も都合が」
勇一は録画予約を終えるや、さっさと部屋から出て行った。
(・・・・・・・・・・・・・・)
馬渕は、少しの沈黙のあと
(佐伯さん)
「えぇ」
(先生ら抜きで、まずは、男同士で。。。お話したいことが)
蚊の鳴くような小さい声だった。
「はぃ?」
胸騒ぎが沸き起こる。高野さん。。。いや吉岡さんの消息が確認できたと、電話で聞いたのは金曜の夕方だ。
その後何かあったに違いない。
「吉岡さんに、何かあったのでしょうか」
(あ、ご心配なく、凄くお元気でいらっしゃいます)
「え?じゃあ明日でも良いじゃないですか」
安堵のため息が漏れる。
キッチンの方を覗きこむ。そう言えば女房の姿が見えない。
(決してお手間は取らせません、ご自宅に・・・・あ、それはマズイですね。近くの喫茶店にでも)
「え、今からですか」
(えぇ)
「お疲れでしょうに」
(あ、その点お構いなく。どうせ帰る方向なんです。ふた駅違いの荻窪なんです)
壁の時計は6時前を指している。
「え、そうだったんですか。了解しました。で、そうまでして、そんなにコトはあれなんでしょうか」
(すみません。なんて言うか私の個人的なことなんです)
「はい?」
※
じゃあそれならばと、指定した喫茶店『シャンボンの背中』は高円寺駅前から歩いて数分、公園の横にある。
フランス映画の題名から取ったと言う店名通り、シャンソンの流れる店はいつも賑わっている。
だが日曜の夕方、おまけに雨。読み通り、客足は途絶えていた。
「ありゃりゃ、お珍しやこんな時間に」
いつもは無口なマスターが、今日に限って声をかけてきた。
「えぇまぁ。仕事の件でちょっと打ち合わせを」
店内を見渡す。馬渕はまだのようだった。
「もしかしてお相手は馬渕さんて方ですか」
「え!えぇまぁ」
「あちらの席です、今お手洗いです」
よく見ると、椅子にボストンバッグが置かれてある。使い古した感じの重厚な革が印象的だった。
「ふー。サッパリしました」
顔でも洗ってきたのか、水しぶきの跡が所々残っている。
「どうも」
「申し訳ない、せっかくのお休みのところ」
「あ、全然。馬渕さんこそお疲れ様でした」
「いやいや仕事ですから。あ、まず佐伯さんへのお土産。。。」
言いながら馬渕はバッグを開け、探し物をしていたが小袋を取り出した。
え、私に。どうもと受け取ると、ずっしりとした重みがある。
「どうぞ開けてご覧に」
袋を開けると「丹後焼」と書かれた小箱が出てきた。
「ほーう湯呑みですか」
馬渕は意味ありげに笑うと「裏をご覧に」と言った。
えぇまぁと裏向ければ、『丹後焼窯元 紫織』とあった。住所は、京丹後市竹野。。。とある。
「え!まさか・・・」
すると馬渕は満面の笑顔になり
「はい、そのまさか。吉岡紫織さまでいらっしゃいます」と笑った。
だが、本当の衝撃はその後だった。
「佐伯さんッ」
言うや馬渕はテーブルに両手をつき、深々と頭を下げた。
「す、すみません」
「え?」
「許してください」
「はぃ?って何を・・・・」
「私、馬渕憲一。吉岡さんに恋しちゃいました」
店内から流れるシャンソン。雨の日曜。テーブルに頭を擦り付ける馬渕。
それら全部の事柄が、夢の世界、いや映画の世界に思えていた。
つづく
今更ながら、言うまでもありませんが、当シリーズはフィクションです。 従いまして、地名、名前 等はすべて架空のものです。万が一 同姓同名同社の方が居られましても、なんら関わりは御座いません。※なお当シリーズで使用の画像は 写真素材 足成様より頂いています。