小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

そして、池上線63

馬渕はマスターに、何時もの奴。と告げた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「っらっしゃい。毎度」 店内も程よい照明。重厚な調度品。落ち着いた雰囲気が嬉しい。 カウンター席、マスターの目の前、ちょうどふたり分は空いていた。が 馬淵はしばらく考え「奥に行きましょか」と云った。 「えぇ」 通りすぎるとき、オールバックの口髭。いかにもな面持ちのマスターと目が合った。 「あ、どうも」 ぴょこんと頭をさげると、「ごゆっくりどうぞ」と静かに頭を下げた。 一見、柔和な表情だが、眼光は鋭いものがある。まさか馬淵と同じ元刑事?

馬淵は「あ、マスター。まずはジン・リッキーで。ライム多めに」と声をかけながら通り過ぎた。 なるほど、チョコパフェの甘味を早く排除するには柑橘系が一番。

「じゃあ僕も、同じで。但しアルコール分低めで」と云った。本当のところ、炭酸水だけでも良いぐらいだ。 マスターは「承知いたしました」と微笑んだ。

「よく来るんですか」 ぐるりと店を見渡した。 馬淵は 「えぇまぁ。かれこれ5年です。」 ! 「と云うと。。。奥様の」 「えぇ女房が他界してからです。それまでは甘酒も呑めない口でした」 心情をおもんぱかると、胸を突き上げるものがある。 「さぞかし・・・」 「佐伯さま」 「え、はい」 「連れ合いに、先に逝かれること程、男にとってショックなものないです」 たぶんそうだろう。。だが黙っていると 「奥様を大事にしてますか」 と眼を覗き込んできた。 なぜかすっかりと、この馬淵に見透かされている気がした。 ライムの利いたジン・リッキーのおかげか、チョコパフェの甘味は、すでに消えていた。 「えぇまぁ。。。」 「それが一番です」 こりゃあ当分の間、森島の事は絶対のタブーだなと決め込んだ瞬間でもあった。

※ 「どうしても報告しなければならないものがあるんです」 ふいに馬淵が云った。 「はい?」 「あ、ロドリゲス。。。。 と云ったきり馬淵は黙って眼を閉じた。 え? 「あ、すんません、ついつい。彼女のファンなんです」と天井を指した。 BGMに流れる、もの悲しい曲がロドリゲスと云う歌手なのだろう。 「で、葛飾の印刷所社長・・・」 「はい?」 「云うべきか云わざるべきか悩んでました」 「はい?あ、キャバクラの後、彼女が世話になったっていう。。。」 馬淵はおかわりを頼んだハイボールをひと口流し込むと 「今朝の朝目新聞、偶然読ませてもらいました」 「はあ?」 すると馬淵は 「え。まさかご覧になってない?」 「えぇまぁ。朝目はとっていないので」 すると 「陶芸関係の本、来月らしいですね発売。おめでとうございます。」 「えぇまぁ。え。新聞に出ていたのですか」 「はい。記事は大学教授のインタビュー記事でした。それだけなら見過ごすところでしたが、松浦印刷の事をしゃべってられました」 「あっ。まさか高野さん、、、あ、いや吉岡さんが世話になったって云う印刷所って、松浦印刷?」 「そうです」 「なんとまあ」 ふいに、あの代々木公園のカレンダー写真が目に蘇った。 「確かに驚きな奇遇です。けど悩むほどのことですか、あなたが」 馬淵はなぜか物思いにふけった表情を浮かべていた。 が、ようやく口を開いた。 「吉岡さん、高野教授と知り合うまで、松浦社長と恋仲だったのです」 「まさか。え。じゃあ?」 「キャバクラでの再会のち、松浦社長と再熱とでも?」 馬淵は一瞬、首を縦に振りかけた。だが 「あっ、いやいや。その気持ちを振り切るため、陶芸の道へと飛び出されたんです。何しろ松浦社長も妻子持ちですから」 云ったあと馬淵はハイボールを一気に流し込んだ。

「なんとまあ」 云うと同時に馬淵を真似、ジン・リッキーを一気に流し込んだ。

ファドのBGMも悪くねぇな。そんなことを考えていた。

つづく

今更ながら、言うまでもありませんが、当シリーズはフィクションです。 従いまして、地名、名前 等はすべて架空のものです。万が一 同姓同名同社の方が居られましても、なんら関わりは御座いません。※なお当シリーズで使用の画像は 写真素材 足成様より頂いています。