小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

そして、池上線65

「馬渕さん」

「は、はい」

「約束して頂けますか」

「って何を」

「彼女・・・・吉岡さん。今度こそ幸せにして頂けますか?」

「はい?」

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私の問いかけに対し、馬渕は顔を逸らした。やがて眼を閉じるや長い沈黙があった。

まるで質問には無視し、店内に流れるファドだけに心を寄せ、聴き惚れている風でもあった。グラスは空になっていた。手持ち無沙汰で、おかわりに何か頼もうかとしたタイミングだった。

「佐伯さま」

とようやく声をあげ私を見つめ返した。目には、力強いモノがあった。

「実はこの三日間、ずっとそればっか考え悩んでました。。。。でも今日、ようやく気づいたんです。まず、この私が幸せになれば良いことじゃないか。それが彼女の幸せにつながるって言う。。。」

なんとまぁ・・・・・・・・

「そんなに彼女の魅力て健在ですか。貴方が幸せになる確信があるほどの」

「そりゃあもう」

馬渕は顔をくしゃくしゃにさせた。

なんとまぁ。。。そこまで惚れてしまったと言うのか。。。しばし無言でいると

「あー」

「え?」

「す、すみません、自分勝手も良いとこですよね。す、すみません」と何度も頭を下げた。

「あ、全然。そうじゃないんです」

おかわりがようやく決まり、「シャンパンふたつ」マスターに声をかけ馬淵を振り返った。

「じゃないんです。頭あげて下さい」

「はい?」

「なるほどなぁと感心しました。先ずは自分の幸福。それが何よりで、すなわち相手も幸福に。これぞ真実じゃないですか」

どうぞ

すっとマスターの手が伸びシャンパンがふたつ並んだ。

「さ、乾杯しましょう。祝杯の」

「え。許してもらえるんですか」

「ま、とりあえず二人の前途を祝し乾杯」

ぐっと一口飲み、

「許すもなにも、僕にはあーだこーだ言える権利などないです。。。でも」

「でも?」

遠距離恋愛ってのがちょいと。。。」

すると

「佐伯さま」

「は、はい」

「近いうち事務所、畳んで丹後に越そうて思ってます」

「え。。。」

「探偵事務所など。。。仕事の依頼など滅多に。ここ1、2年は特に」

「そんなにもあれですか」

「えぇまったく。知ってますSNS?」

「まぁ」

「たいがいの情報など、誰でも検索できるです。私らに依頼するより、早く簡単に」

「まさか」

「先日、中学んときの同級生 ふと気になって検索窓に打ち込んだです。で、一発とまで行きませんでしたが、2、3回目にヒット。二重のショックだったです。素人でも簡単に探れると言うショック。それと奴、3年前に他界してました」

                ※

店を出ると満天の星空が輝いていた。

「しかし、たった3日間の出会い。なんか信じがたいものがあります」

「そりゃあもう、一番驚いているのが私なんです。」

「そんなに彼女の魅力て健在でしたか」

「えぇそりゃあもう。一目惚れって言うあれですね。彼女を見た瞬間、運命を感じました。でも」

「でも?」

「今までの生きざまを聞かされれば聞かされるほど、ますます虜(とりこ)になったです」

荻窪駅前タクシー乗り場。タクシーが2、3台客待ちをしていた。

「しかしまぁ、ここから雪谷大塚の事務所て、少し不便だったでしょう」

すると

「いやいや、憧れの池上線。沿線で事務所を持つのが夢でしたから、満足でした。悔いなどありません」

「え。憧れの池上線?て、あの池上線」て訊くと

馬渕は静かに

「えぇ、あの池上線です」と答えた。

つづく

今更ながら、言うまでもありませんが、当シリーズはフィクションです。 従いまして、地名、名前 等はすべて架空のものです。万が一 同姓同名同社の方が居られましても、なんら関わりは御座いません。