会社に近づくにつれ、印刷機の音が大きく鳴り響いて来た。
本日も松浦はフル稼働中。よくぞアポが取れたものだ。労(ねぎら)いをと、馬渕に振り向いた時だった。
え!?
馬渕はピタっと歩みをとめ、しばしのあいだ眼を閉じ、佇んでいた。まるで記憶の向こう側でも探るように。
「どうかしまして?」
「・・・この音・・・なるほどね」
「え?」
「しーっ。丹後ちりめん、機織りの音」
「あ、あぁあの。。。」
「えぇ、あれです」
そもそも高野さ。。。いや吉岡さんが、女子学生としては当時珍しい印刷会社にバイトを志した理由。そのきっかけと云うべくあの音。
なるほどと、馬渕をまね同じようにそっと目を閉じてみる。
ガタン、ガチャガチャ。ガタン、ガチャガチャ・・・
実際には、やや似てはいるが、とうぜん異なる機械音。けれど、もし目を閉じ故郷に思いを馳せるならば。。。赤ん坊の頃から子守唄代わりに聞き、身に染み付いた故郷の音なんだろう。ご両親に反発し、家出も同然だったと云う上京。けれどやはり、ふるさとを遠く離れた東京。知り合いも居ない東京。淋しさがより、望郷の思いを強くさせたろう。そう思えば思うほど、まぶたの裏がわ、まだ見たこと無い筈の丹後半島。彼女の青空がくっきりと見えた気がした。
※
応接がわりに通された会議室。入るなりキョロキョロと見回した馬渕。案の定、例のカレンダーに目をとめた。
「あ、あれですね。この前おっしゃってられた代々木公園の」
「えぇあれです。さっ近くで」
そう言いながら、カレンダー前へと馬渕を促す。
「ほーう。これはこれは」馬渕は次々にカレンダーをめくり上げては感嘆の声を挙げた。
「見事なもんでしょう」
「えぇ」
今一度、眺めれば、眺めるほど、写真の凄さに圧倒された。代々木の情景をものの見事に捉えていた。二次元の世界なのに、まるで現実の世界。いやそれ以上の空気感や、公園が醸し出す音、薫りまでもが息づき、再現されているようだった。
松浦社長が代々木にこだわった理由。それを思うたび、とてつもない縁(えにし)に胸が慄えた。嫉妬とかの気持ちなどとはもちろん違う、そう我らは独りの同じ女性を愛した者同志。いわば戦友なのだと思う。
だが、果たして松浦の反応はどう出るのだろう。
「どうもどうも、お待たせました」
松浦が入ってくるや、ふたり同時に跳ねるように起ち上がった。
「先日は、ありがとう御座いました。お陰様で予定日に」
「何をおっしゃいます。出版、おめでとうございます。こちらこそ良い仕事を請けさせて戴きました」
それでこの方は?と云うように松浦は馬渕の方をちらりと見た。
馬渕は慌てて名刺を取り出し
「電話では失礼しました。それより何よりまずお詫びしなけりゃならないんです」
馬渕が言うと
「はい?」
松浦は怪訝な顔つきになった。
「先日、道を尋ねた折、お忙しいのに誠に申しわけ御座いませんでした」
「はぁ?」
「あらためて申します。馬渕探偵事務所、馬渕憲一と申します」
あ、どうもと松浦は名刺を受け取り、胸ポケットから老眼鏡を取り出した。しばし名刺を食い入るように眺めていたが
「あぁ。あの時の・・・道をお尋ねの。。。まさか探偵事務所の方とはねぇ」
で、探偵さんがこの私に何用?とでも云うように、松浦はジロリと馬渕を眺めた。
「じつはこちら佐伯社長さまのご依頼で、とある方が昔、住んでられた居場所を確認しておりました」
「え、この私の」
「いえ、高野・・・いえ吉岡紫織さまです」
「は、はい!?」
つづく
今更ながら、言うまでもありませんが、当シリーズはフィクションです。 従いまして、地名、名前 等はすべて架空のものです。万が一 同姓同名同社の方が居られましても、なんら関わりは御座いません。