小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

そして、池上線74

「マブっちゃん、あんたが惚れるの無理ないね、実に魅力的な女性だわさ」

なに事も無さげに言った西崎の声が、がらんとした事務所に響き渡った。

な、なぜそれを。。。。ぐふっとむせ返るような息遣いが横で鳴った。

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「なぜそれを。って、あのねマブっちゃん」

「は、はい」

「先日の電話よ。このアポの」

「え?何か言いましたっけ」

「個人的な事でどうしても話しておきたい事がって、そりゃあピンと来るわ。でもまさかねって。で直に彼女にそれとなく振ってみたら、これがまぁ、あっさりと。正直な方だわ、吉岡さん。よほど彼女も嬉しかったのね」

なんとまあ・・・

「あのぅ、まさかそれが目的で丹後まで」

「佐伯社長ッ」

「は、はい」

「んなワケないじゃん、そもそも張本人の貴方が、全然動こうとしないもん、シビレを切らしちゃって」

「え。でも・・・」

「何がでもよ、で、いつから?」

「え。いつ。。。とおっしゃいますと?」

「マブっちゃんの件よ、いつ知ったの」

「あ。えぇまぁ。。。」

「正直に言いなさいよ」

「報告会の前日・・・かな。日曜の夜」

「て、マブっちゃんが丹後から戻った日。いきなりじゃん」

「えぇまぁ」

「まさか電話で?」

すると馬渕が

「と、とんでもない、高円寺まで出向き直接に。。。」

「何とまぁ。で、何ともなかったの?」

「と言いますと」

「んもう。驚きとか、嫉妬とかの気持ちよ」

「そりゃあ驚きでした。当然嫉妬すら。。。でもまぁ、仕方がないかと、所詮こっちは家庭持ち。馬渕氏は独身。彼女さえ幸せになるなら。。。と」

すると西崎は、あきれた表情で

「本心から思って?」

「えぇもちろん。誓って」

横の馬渕が、私に両手を合わせる気配がした。

「呆れた、まさか男同士の友情て奴?」

「えぇ、ですかね。あはは」馬渕と目を合わせ笑った。

「何とまあ、それにしても変だと思ったわ、月曜の報告会」

「でしたっけ?」

「でしたも何も、驚きの内容にも関わらず、しれっとした顔。そりゃあ普通に考えても絶対、変」

「ですね、先生。。。あはは。。」

その時「遅くなりました」

森島が冷えたペットボトルのジュースとグラスを持ってき、コポコポと注ぐや西崎に差し出した。冷蔵庫もすでに片付けられた筈の事務所。外の自販機まで買いに走ったというのか。

西崎はありがとうと受け取るや「あんたいつ知ったの?」と訊いた。

「え?」

「引っ越しの。。。いや、それより何より、マブっちゃんのことよ」

怒りの矛先は森島に向かおうとしていた。

「昨日。。。。」おずおずと森島が応えると、

「なるほど、んじゃ仕方ないか。。」ようやく西崎はあきらめ顔に戻り、平静さを取り戻しつつあった。

ひとしきり、怒りをぶちまけようやく落ち着いたのか、丹後での出来事や、吉岡さんの印象などを話し始めた。馬渕の報告通り、いやそれ以上に吉岡紫織は充実した日々を送り、実に魅力ある女性だと嬉しそうに語った。

「それにしても、先生の行動力、ハンパ無いですね、なぜまた丹後半島まで」

「最後の追い込みよ、肝心かなめ、お相手の事とか、どうしてもこの眼であれこれ確認したいじゃん」

「えっ。最後て、どこまで進んでられますの」

「いま三稿目の推敲中よ」

「6月号の?」

「とんでもない、三好ちゃんとの約束、350ページ分よ、ただ結末のどんでん返し、どうするか迷っちゃてるけど」

「え!。で、どんでん返し?」

「マブっちゃんの事よ」

「え。あぁ・・」

横で馬渕が小さくなった。

どちらかと言えば西崎の筆は速い方だった。だが、あれこれ悪戦苦闘中と聞いていたので、すでに350ページ分、書き終えていたとは意外な気がした。

「苦戦中の割に、かなり速かったですね」

「『天の夕顔』あれ参考になったわ。人妻を愛した若者の、哀しくも美しい純情話」

「あっ、お礼を忘れるところでした、先生のおかげで、増刷決まりました」

「あら、そうなの良かったじゃん。それよりさぁ、来月行くんでしょ新作展」

「え」

「もう待ちきれないって。貴方との再会、すんごく楽しみにしてられたわ」

「え・・・・・・・」

 

 

    つづく

今更ながら、言うまでもありませんが、当シリーズはフィクションです。 従いまして、地名、名前 等はすべて架空のものです。万が一 同姓同名同社の方が居られましても、なんら関わりは御座いません。