「マブっちゃん、あんたが惚れるの無理ないね、実に魅力的な女性だわさ」
なに事も無さげに言った西崎の声が、がらんとした事務所に響き渡った。
な、なぜそれを。。。。ぐふっとむせ返るような息遣いが横で鳴った。
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「なぜそれを。って、あのねマブっちゃん」
「は、はい」
「先日の電話よ。このアポの」
「え?何か言いましたっけ」
「個人的な事でどうしても話しておきたい事がって、そりゃあピンと来るわ。でもまさかねって。で直に彼女にそれとなく振ってみたら、これがまぁ、あっさりと。正直な方だわ、吉岡さん。よほど彼女も嬉しかったのね」
なんとまあ・・・
「あのぅ、まさかそれが目的で丹後まで」
「佐伯社長ッ」
「は、はい」
「んなワケないじゃん、そもそも張本人の貴方が、全然動こうとしないもん、シビレを切らしちゃって」
「え。でも・・・」
「何がでもよ、で、いつから?」
「え。いつ。。。とおっしゃいますと?」
「マブっちゃんの件よ、いつ知ったの」
「あ。えぇまぁ。。。」
「正直に言いなさいよ」
「報告会の前日・・・かな。日曜の夜」
「て、マブっちゃんが丹後から戻った日。いきなりじゃん」
「えぇまぁ」
「まさか電話で?」
すると馬渕が
「と、とんでもない、高円寺まで出向き直接に。。。」
「何とまぁ。で、何ともなかったの?」
「と言いますと」
「んもう。驚きとか、嫉妬とかの気持ちよ」
「そりゃあ驚きでした。当然嫉妬すら。。。でもまぁ、仕方がないかと、所詮こっちは家庭持ち。馬渕氏は独身。彼女さえ幸せになるなら。。。と」
すると西崎は、あきれた表情で
「本心から思って?」
「えぇもちろん。誓って」
横の馬渕が、私に両手を合わせる気配がした。
「呆れた、まさか男同士の友情て奴?」
「えぇ、ですかね。あはは」馬渕と目を合わせ笑った。
「何とまあ、それにしても変だと思ったわ、月曜の報告会」
「でしたっけ?」
「でしたも何も、驚きの内容にも関わらず、しれっとした顔。そりゃあ普通に考えても絶対、変」
「ですね、先生。。。あはは。。」
その時「遅くなりました」
森島が冷えたペットボトルのジュースとグラスを持ってき、コポコポと注ぐや西崎に差し出した。冷蔵庫もすでに片付けられた筈の事務所。外の自販機まで買いに走ったというのか。
西崎はありがとうと受け取るや「あんたいつ知ったの?」と訊いた。
「え?」
「引っ越しの。。。いや、それより何より、マブっちゃんのことよ」
怒りの矛先は森島に向かおうとしていた。
「昨日。。。。」おずおずと森島が応えると、
「なるほど、んじゃ仕方ないか。。」ようやく西崎はあきらめ顔に戻り、平静さを取り戻しつつあった。
ひとしきり、怒りをぶちまけようやく落ち着いたのか、丹後での出来事や、吉岡さんの印象などを話し始めた。馬渕の報告通り、いやそれ以上に吉岡紫織は充実した日々を送り、実に魅力ある女性だと嬉しそうに語った。
「それにしても、先生の行動力、ハンパ無いですね、なぜまた丹後半島まで」
「最後の追い込みよ、肝心かなめ、お相手の事とか、どうしてもこの眼であれこれ確認したいじゃん」
「えっ。最後て、どこまで進んでられますの」
「いま三稿目の推敲中よ」
「6月号の?」
「とんでもない、三好ちゃんとの約束、350ページ分よ、ただ結末のどんでん返し、どうするか迷っちゃてるけど」
「え!。で、どんでん返し?」
「マブっちゃんの事よ」
「え。あぁ・・」
横で馬渕が小さくなった。
どちらかと言えば西崎の筆は速い方だった。だが、あれこれ悪戦苦闘中と聞いていたので、すでに350ページ分、書き終えていたとは意外な気がした。
「苦戦中の割に、かなり速かったですね」
「『天の夕顔』あれ参考になったわ。人妻を愛した若者の、哀しくも美しい純情話」
「あっ、お礼を忘れるところでした、先生のおかげで、増刷決まりました」
「あら、そうなの良かったじゃん。それよりさぁ、来月行くんでしょ新作展」
「え」
「もう待ちきれないって。貴方との再会、すんごく楽しみにしてられたわ」
「え・・・・・・・」
つづく
今更ながら、言うまでもありませんが、当シリーズはフィクションです。 従いまして、地名、名前 等はすべて架空のものです。万が一 同姓同名同社の方が居られましても、なんら関わりは御座いません。