小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

ミモザの咲く頃に その15

「いやあ、どうもどうも」
悪びれもせず、入ってきたのは若い男だった。
時間に対する観念は案外ルーズなのか、テレビ局。時計を見ると約束の時刻は40分も過ぎていた。

それでもさすがに「どうも、お忙しいところを」
前村はさっと、立ち上がって一礼した。
一瞬あせったが、彼女の上司役を演じるかのように僕はゆっくり立ち上がった。
名刺を差し出す。
「本日はすみません、押し掛けまして。船場商事の森野と申します」
「あ、ども。安岡です。んで彼女は」
「申し訳ございません、名刺は持ち合わせておりません。森野と同じ船場商事営業三課で事務をやらせていただいてます。前村と申します」
「あ、どもよろしくね」僕らにソファーを勧めたあと
「前村さんね、下の名前はなんて云うのかなあーって、ボク気になって訊いちゃったりして」



(この軽さ・・・さんざん待たせたあげく、どうでもええだろがっ、そんなこと)

え!まさか。
そのあと信じられない光景を見てしまった。
なんと安岡は、僕の名刺の対角を左の親指と中指で軽く挟み、右の指でパチンと弾き、器用にクルクル回転させた。
そういう風に他人の名刺をもてあそびながら前村の顔を下からのぞき込んだ。

「あ、すみません加奈子と申します」
「漢字当てようか、加える奈良の奈に子供でしょ」
「え、はい、まぁ」
安岡の名刺を見ると報道情報局ディレクターとあった。
(若そうに見えるがディレクターとは)だが、僕の堪忍袋の緒はそろそろ切れかかっていた。
「やっぱね、あッ(なぜ?分かったの)って君の顔に書いてある」
思わず前村さんの横顔を見た。どう返答して良いモノか困った表情でうつむいたままだった。
先日の放送について尋ねるまでは席を立つわけには行かなく、彼女とて我慢していたのだろう。
(無視、無視や)
「あは、企業秘密どえーす。でももし気になるようなら特別にお教えしちゃおうかな。君に」
とうとう堪りかねた僕は
「あの、すんません時間が無いんです僕ら」
会話をさえぎった。

すると、あれお宅居たの?とでも云うような表情で僕をにらんだ。
それに構わず
「あの、宣伝課の三宅から電話行ってると思いますがサタデーナイトあれこれの件で」

「あ、そうそう三宅ちゃん元気?久しぶりの電話やったけど、なんか元気なかったなあ、皆でいじめすぎとちゃう?」

「いえ、そんなことはありません。で、琵琶湖の店のコトですが」
つい怒気を含んだ声で答えた。この調子では、当分本題にたどり着きそうになかったからだ。

「まあまあ、そうカリカリしなさんな、どうせ今日はチョッキ(直帰)なんでしょ。あっ、加奈子ちゃんと二人だ。いいなあ。琵琶湖の夜」

あのですね
とうとう、かーっとなって、立ち上がってしまった。
前村が袖を引っ張り、止めてくれなかったら安岡の胸ぐらを掴んでいたことだろう。

だが、前村は僕以上に険しい表情で立ち上がり、

安岡さん、ええ加減にして下さいますか。遊びや道楽で外出してるんじゃないんです。私らッ

その声は僕以上に凄みがあり、応接間中に響き渡った。
失礼な若きディレクターは、それこそ鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

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・・・・・・・・・・・・・・・・

雨。おまけに月曜の昼下がり、京都で乗り換えた湖西線快速急行近江塩津行きは山科で一気にガラガラになった。
ようやく空の4人席に僕らは向かい合った。

「しかしまあ、あの声。凄みあったなぁ、あのディレクターのキョトン顔、今思い出しても吹き出すわ」

「いやぁー恥ずかしい、もう忘れてよ。森野さんこそ立ち上がった時迫力あったやん。瞬間、空気が凍りついたもん。しかしまあーテレビ局の人って、皆ああいう風なんやろか」

「そんなコト無いと思うけどな。おそらく奴だけとちゃう?けど軽い男で良かったかも。VTRを何度も再生してくれたり、近江舞子の店のコトあれこれ調べ、直接電話までしてくれたし、根はええ奴なんやろ」
もてあそばれた名刺の怒りは忘れることにした。

「確かにね、しかしまあ、それにしても森野さんの云うとおりやったね“ジャーニービワンコ”の文字クッキリやったね」
「だろう?」

前村はテレビ局を出たあともしばらく怒りが収まらず、て感じだったが、いつもの笑顔に戻っていた。

「あ、やっぱ魅力的な前村さんを見て、特別な思い入れが沸いたんとちゃう?」

冗談っぽく云ったが、あらためて見て前村は魅力的な女性と言える。テレビ局で何人かの女子アナとすれ違ったが、ヒケをとるどころか上背もある前村の方が勝っていた。

「森野君まで・・・冷やかさないでよ」
口ではそう云ったが満更でもなさそうに外を見た。
雨は相変わらず降っていた。
(熱心な釣り客が多いとのことだが、本当に開いてるのだろうか、こんな雨の月曜)

前村の魅力に気が付くのが遅かったのかも知れない。だが、
気が付いていたとして、どうにでもなる話でも無い。同じ職場での恋愛ごっこなど御法度だ、それに彼女に恋人の一人や二人居たって不思議じゃない。きっと彼氏が居るにちがいない。

ふと、石坂美央の顔が浮かんだ。
ピアノの話をするなら今がチャンスかも。と切り出した。

「実は、話しておきたいコトがあるんやけど」
「え、まさか私に告白?だったりして」
両手で頬づえを付きながら僕の顔をのぞき込んだ。(あれ?この軽さ。あのディレクターが乗り移ったか)
「ちゃうちゃう。ピアノのコトやねん、実は俺ピアノ習い始めてるねん」

「は、はあ?まさか弾くあのピアノ?」
少し前、常務に対して僕が云った時のように彼女も両手で弾く真似をした。

「う、うん。国光常務に誘われて」
「ブ、ブーッ。なんでまたそこに国光常務が出てくるか・・・」

仕方なくコトの成り行きから話し始めた。


・・・・・・・・・・・・・・・

しばらく、[そんなコトってあるんやね]とあっけに取られた表情で僕を見つめていたが、
「あーでも、先週から雰囲気、何か違うなって思ってたけどこれでナットクやわ」
「え、どこが」
「表情とか、態度とか、それに今朝の会議での発言とか全然変わったもん」
自分では気づいて居なかったが、結構変わっていたらしい。

(それまでの僕ってどれだけ頼りない、情けない男だったってコトか)

「ピアノは普段使わない左手も使うから右脳が刺激されるし ね。。。いいなあ、なつかしいなぁ」

「え、前村さんも?」
「うん子供の時少しね。でも家庭の事情ですぐ辞めさせられたけど」
ふと、寂しく悲しげな表情をみせた。
(彼女にも抱えている何かがあるのだろうか)

「指くぐりでつまづいたやろ」
「おー、あったあった。でも私は大丈夫やったよ。森野さんの場合、左手と右手との関係で悩んでるでしょ」
「え、なんで判る?」
「そりゃあ多分そうだろうと、今度教えてあげようか、左手と右手同時別々に弾くコトの克服法」
「あ、是非」
「高くつくわよ、私のレッスン料」
しばらくピアノの話で盛り上がった。

「寒くない?エアコン効きすぎやね」
「え、そうかな」
彼女の場合、長袖とは言え薄手のコットンシャツは寒そうだった。
「僕のジャケットでよければ・・・」
暑がりの僕は、上着はずっと膝に置いたままだった。
「え、良いの?ありがとう」
云って受け取るや、さっそく袖を通した。
「うわー暖かい、ありがとう」心底うれしそうな笑顔を向けた。

「!!」
そのとき
女性が男物のジャケット・・・
ハッとし、頭の隅でひらめくモノがあったが、車内放送の
近江舞子近江舞子)のアナウンスが聴こえた。
「やっと到着やね」
「本当に店、開いてるやろか」

降り続く雨空を見上げ、僕は言った。

「大丈夫やって、さ行きましょ」
僕のジャケットを着たまま、明るい声で前村は言った。


                  つづく
※ 言うまでもありませんが、
当記事は フィクションです
万が一、実在するいかなる個人、団体、地名、とも 一切の関係はございません 

 (-_-;)