小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

そして、池上線59

「馬渕さん」 「何でしょう佐伯さま」 で、肝心の吉岡さん。彼女の気持ちはどうなんです? この言葉を投げるべきかどうか、逡巡し続けたのだった。 店内のBGM 枯葉がやたらと心に響いていた。 たしか今は4月の筈なのに。そんなことを考えていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・   あれこれ迷い、葛藤が生まれ黙っていると、それまで軽やかだった馬渕の口も静かになった。 ときおり、こちらの表情を盗み見しては、瞑想にふけっている。 だがそれまでの馬渕のキャラには似合わない。 そう思うとなぜか可笑しくなった。にやりと笑うと目が合った。
すると馬渕も、吊られたように、ニコ顔になった。   (あッ 愛川欽也。。。。) 馬渕には他人を安心させ、無防備な状態にさせると云う特技(ワザ)がある。 例えば 高野しおり・・・・いや吉岡さんも。。。 その手にかかれば、いともたやすく、容易に。。。
まさか。。。 いや、この表情。この風貌、どう見たって愛川欽也。。。 嗚呼、懐かしい。
「いやあ」「で」
馬渕が発するとほぼ同時、ふたりの言葉が重なった。 「 あ、失礼。どうぞ」 「いやあ、シャンソンもたまには良いですな」 「え?。。。あぁBGM。ここの店凄いでしょ」
どうだ、参ったか。 馬渕ならおそらく歌謡曲、いや演歌派なのだろう。そうに違いない。 勝手に決めつけ、変な優越感に浸っていると
「もっぱらファドなんです」
「はあ!?ファド」
「えぇ」
「確か、ポルトガルかどっかの歌謡曲と呼ばれてるあれ?」
「はい、ポルトガルです。で丹後半島で、ファドが流れる店。奇跡的にあったですよ。しかも吉岡宅のご近所。いやあ参りました」
「吉岡さんの行きつけ店?」
「あ、彼女は初めてと仰ってました。近くと云ってもクルマで20分ほどの場所ですから」
「ほーう。。。。え?じゃあ彼女とクルマに。。」
すると馬渕は何かを思い出したのか、バツの悪い顔になった。
「あ、申し訳ない。。。この通り。。。」
「何を謝ること、あるんです。ただの食事だけですよね」
「も、もちろん。ただ。。。」

「ただ?」
「あと、鳴き砂の浜。棚田と夕日の絶景。上弦の月。。。とかも、ご一緒」
「上弦の月?」
「えぇ」
「じゃあ夜空ですよね」
「すみません」
「何がですの」
「彼女、つまづき倒れそうになったところ、抱きとめました。」
「はい?」
「で、もう少しのところで、ようやく気を鎮めました。でなけりゃあのまま。。このボク。。。」
「あ、あのね馬渕さん。。。。」
一体なにを目的の丹後出張だったんです。 そう怒鳴りあげたい気持ちがこみ上げかけ、あっと気づく。
森島碧
この俺だって、なにやってるんだ。
初恋探しで知り合った彼女に恋してしまってるじゃないか。 しかもこれから仕事の上で世話になるであろうの作家事務所。大事な新人。。。しかも
目の前で、ひたすら平身低頭な馬渕探偵。その馬渕が施設の依頼で預かっていた子。
言わば馬渕探偵とは親子関係。。。娘も同然。。。
こっちは家庭持ちの中年オヤジ。男って奴はどうしょうもない生き物。
「あ、あのね、馬渕さん」
「はい」
「貴方が彼女に恋したのは分かりました。で。。。」

一瞬の迷いがあったが
「で、彼女。肝心の吉岡さんの気持ちはどうなんです?あなたに対しての」
「あ、それならご心配なく」
馬渕の表情は急に和らいだ。
「たぶんですが、私に対しても好意以上の気持ちを。。。。」
!?
「あ、あのね。馬渕さん。。。。」
おそらくは嫉妬なのだろう。こみ上げる怒りがあった。
何をいけしゃあしゃあと。。。。。
それより何より・・・・
彼女の消息確認も大事だが、この私に対する彼女の気持ちは一体どうなのか?
その辺り一番肝心な。。。
すると
「あ、そうそう大事なモノお見せするの忘れてました」 馬渕は急に思い出したがのごとく携帯電話を差し出してきた。
「彼女から写真メール届いたんです。この件、言いそびれましたって。わざわざメールで」
ディスプレイには神棚が写っていた。
「神棚ですか」
「えぇ、その上の茶碗」
「あっ」
「えぇ貴方から頂いたものらしいですね」
「なんとまぁ。。これを神棚に30年間も」
「その茶碗で決心がついたそうです」
「え?」
「陶芸の道に進むべきかどうか、迷っていた時期。そんな時、銀座の画廊で偶然の再会。。。。で、貴方の作品を見て決心。温かみのある陶器も人を幸せにする力がある。って」
※ 馬渕とシャンボンの背中を出た時には、雨は上がっていた。
「じゃあ明日もご足労かけますが、私の事務所で」
馬渕は笑顔を向け、手を差し出してきた。
温かみのある手だった。
握手をしながら、この男こそが彼女を幸せにしてくれるに違いない。
森島碧。。。。
明日は来るのだろうか。そんなことを考えていた。
つづく
今更ながら、言うまでもありませんが、当シリーズはフィクションです。 従いまして、地名、名前 等はすべて架空のものです。万が一 同姓同名同社の方が居られましても、なんら関わりは御座いません。