小説の杜

旧 kazami-k 小説の杜から越して来ました

そして、池上線5

午後11時40分。。。 ライトアップの消灯まで、まだ余裕が。。。 改札を出た時、時計の針を確認するや、それまでの急ぎ足をやめた。 久しぶりの酒の席だった。。。 40代では少々の無理も効いたが、50を超えた今とあっては、 少々こたえるものがある。

にしても。。。森島碧・・・

「え。駅は芝公園ですか。うわーめっちゃ近いんでしょ。東京タワー」

彼女の言葉をかみしめながら、地上への階段を登る。

地下構内の、雑多に澱んだ空気が遠のき、 ようやく樹木の薫りが漂い始めたとき、地上に出る。

お。今夜も!。

オレンジのライトに燦然と輝く、東京タワー。

そう。

いつでも眺められ、癒される。。。 そのために、少々の無理をしたのだった。確かに賃貸料は高いものがあった。 スカイツリーも、それなりの感動なのだろうが、どういう訳か 東京タワーの方に愛着を感じる。 愛着と言うより郷愁に近いものなのだろう。

ピ。と鳴ってエレベーターの扉が開く。

「けど、なんでまた変な名前つけたのよ。何度聞いても忘れる」 酔いに任せ、からんで来た西崎の言葉に、またも森島碧が反応した。

「もしか、野口冨士男ですか」 「え、まさかご存知?」 思わず彼女の眼を覗き込む。 「えまぁ。。。」 私の視線を外すように、彼女は俯いた。

新春時代の同僚さえ、知る者は多くなかった。

そういう私も、学生時代、教授に勧められるまでは知らなかった。 すっかりはまってしまい、選んだ卒論のテーマが野口冨士男の「風の系譜」

まさか、平成の今。いくら西崎事務所で働くとは言え、 野口冨士男を知っているとは・・・。

「風の系譜社」

確かに、西崎が云うように社名としては違和感がある。

だが、自分にとっては やはり最高な社名だと思う。 真鍮に輝く看板を、しばし見続け、ようやく事務所の扉を開けた。

「それにしても、初恋か。。。。」 上着を脱ぎ捨てるや、ソファーに座り込んだ。

心が騒いでいた。

初恋と言うのではなかったが、どうしても消息の気になってる女(ひと)が居た。

あ、いやいやそれより、この段ボール。朝までに応募作品の下読み。。。

文芸新春時代の後輩、三好菜緒子の顔が浮かぶ。

「お願い佐伯部長。。。あいえ、佐伯社長。。。」 新春時代、一番叱りつけた三好菜緒子だったが、 独立後も何かと相談ごとや依頼ごとを寄越していた。 だが、それは独立間もない、資金に乏しい私を助けるための仕事の依頼だったのだ。

今回の場合も”お願い”を装っての仕事の依頼なのだろう。 彼女の気遣いが嬉しい。

久々の徹夜仕事。まぁそれも良いか。 ひとりごちながら、段ボールの山に向かった。

つづく

今更ながら、言うまでもありませんが、当シリーズはフィクションです。 従いまして、地名、名前 等はすべて架空のものです。万が一 同姓同名同社の方が居られましても、なんら関わりは御座いません。