狂二 4nine.sec編
「じゃあ、寺島さんも来られましたことですから。。。」 ムツゴロウ教授が口を開き、山根監督が 「寺島さん、お忙しいところ誠に申し訳ない、ざっとこう云う事情なんです」と ふたりがなぜ平行線をたどったのか、かいつまんで説明を始めてくれた。 ・・・・…
なんとなく、バスタブに浸かってる時から予感がしていた。昔からそうだった。 待ちかまえている時に限ってなかなか来ず、そうじゃない時、ふいに現れたりする。案の定風呂から上がると、携帯電話の小窓から着信を知らせるフラッシュが点滅していた。 しまっ…
2013年。新年明けて10日。 大阪では正月より商売繁盛の神様“えべっさん”の方が賑やかだ。近くの戎神社がにぎわいの真っ最中、私はようやく大阪に戻ってきた。 ようやく、なんて言葉を使ったが、たった一年前。実家で正月を過ごしたあと大阪に舞い戻っ…
時計がわりに、つけっぱなしのFMラジオ。ミュージックの合間に流れるニュースが「本日は企業や官庁の仕事納めの日」と告げた。何度も繰り返していたらしく、DJが「朝から今ので5回目、けど俺たちには関係ないね」と喋った。 確かに。。。 新聞社時代は…
[す、す、スゴイです。加速走ながら100メートル。 9秒8が出ましたあああああ!] 鈴木圭子の興奮ぶりが聞こえてきそうな携帯メールだ。 彼女とメールのやりとりをし始めた頃はお互いに遠慮があったのだろう。まるで会社の業務連絡のような文面だった。 …
色々なコトがあった2012年もとうとう師走を迎え、フリーな立場の自分でも、なんとなく慌ただしい気分が襲い始めていた。 ニュースで聞くと今年の冬はいつになく寒いらしい。 暖冬が当たり前な大阪では寒い師走がよほど珍しいのか、会う人々は 「この寒さ…
ヒロシが云うように、キタにしては静かで落ち着いた店だった。 紀ノ国屋書店から歩くことおおよそ10分。地下鉄の駅で云えば梅田より中崎町が近いとのことだった。 店のある下町通りには、格子の板壁に覆われた店や黒壁の家が点在し、どことなく京都の町屋…
私鉄の北摂大前駅。駅前広場の一角にそびえ立つモニュメントの鐘が夕刻5時を奏で、列車を待つホームに流れていた。 バスに乗車中のほとんどは、次々と呼び出される携帯に、ずっと応対を余儀なくされていた三好菜緒子だったが、一区切りついたのかようやくフ…
「寺島さん、私の理論には、唯一の欠点と云うか弱点があったのです」 視聴覚ルームに三浦教授の声が哀しく響いた。 「まさかそんな」 「初めてお会いした時、20年前にあの論文を発表後、各方面、専門家たちの間から激しく叩かれた事を申し上げましたよね」…
走り終えた50メートル走。河本のタイムを訊きに走っていた鈴木マネージャーが戻ってきた。 一回目が6秒17、二回目は5秒21。との事だった。 「一回目は無視するとして、二回目のはレベル的に、どうなのでしょう?」 「えぇ本格的な陸上が初めての全力…
河本の陸上練習初日、50メートル走の計測が行われた。 「え、凄すぎる」 三好が叫んだ。 大きく出遅れたスタートに直視出来ず、つい俯いてしまっていたが、その声にえ、と顔を上げた。 いつの間にか河本はスタートでまごついたものの、グングン加速するや…
「鈴木、全員集合や」 監督の声にマネージャーの鈴木がホイッスルを吹き、部員たちを召集させた。 監督の山根は部員たちを前に 「寺島さんに三好さん、そして河本君、どうぞ前へ」と云った。 思いもよらない呼びかけに、あわてて三好と一歩前に出、監督に並…
私の顔を見つけるなり河本はニッコリ笑うや頭を下げ、駆け寄った。 「先日はどうも」 「いよいよですね、頑張ってください」 「ありがとうっす」他にもなにか云いかけたが他の部員たちの手前もあったのだろう、じゃあと言い残し、部員たちの輪に戻った。 陸…
大阪の地形は縦に長く延びる。そのやや北部に位置する丘陵地帯に北摂総合大学専用グラウンドがあった。 1周400m×9レーンを擁する全天候型ウレタン舗装の本格的なトラックと、フィールドは天然芝を敷き詰めた全天候型のモノ。 第1種公認の陸上競技場に決し…
(一年ほど陸上への挑戦に会社を留守にしたい) 河本の言葉に、従業員たちから猛反発の声で会議室は騒然となった。 そのとき 「あのーぅよろしいですか。皆さん」 と 麗花が立ち上がった。 「麗さんも当然反対やなぁ」後ろから声が飛んだ。 だが彼女は、ひる…
「その代わりっちゃあ何ですけんど、医学部と話をつけさせてくれませんか?」 「えぇ、そりゃあ私としてもできるだけの協力は」 最初は強硬に反対していた栗原だったが思いもよらぬ依頼ごとから話が展開しだした。 何より河本がその気になってくれたのが大き…
(麗花さん、栗原専務を呼んで来てくれるか) はい承知。とすぐにでも駆けつけたのかと思いきや、陳麗花はつかつかと応接室にやって来た。 おもむろに河本の眼を見据えると 「あのぅ河本社長、お呼びたてする用件はどのような理由からでしょう。すぐに済む用…
「その根拠とやらを頭の悪い俺でも解るように説明していただけませんか」 「えぇ、喜んで」 と教授は例の雑誌 「月刊物理評論」をカバンから取り出し、河本に例のページを広げた。 だが雑誌を一瞥するや 「あちゃー何それ、方程式だらけ。。俺、熱出るわ」 …
「うわあー寺島さん見てください最高です。ボルトと同じ脛(すね)の長さです。そしてこの筋肉!」 三浦教授は感激のあまり絶叫しながら河本のすねを撫でまわした。 そのまま放っておくと、頬ずりでもしかねない教授の興奮ぶりだ。 河本は、 「ひゃあーっ。…
「三浦教授、ここですわ。着きました」 「おぉーここですか。寺島さん、ようやく私の夢に逢えます」 自動開閉ドアが開くなり、教授はいそいそと降りた。 「860円です。で、お客さんらも大学の関係者?」 走行中は無言だったタクシー運転手が訊いてきた。 …
(日本人として初。100メートル9秒台の夢です) 研究室で聞かされた大学教授の夢物語り。。。 地下鉄に揺られながら、彼らと交わした会話を脳内で復唱した。 それは決して夢物語なんかではなく、文字通りゴールの見える一大プロジェクトのように思えて来…
「それにしても何故にまた物理学の貴方が」 「9秒台の夢です。日本人初の」 「は、はぁ?」 「先月ロンドンご覧になられました?」 「え?ロンドン。。。あぁ、オリンピックですか」 三浦教授は、もちろんですがな。と少し憮然とした表情になった。 「世界…
2012年8月5日ロンドンオリンピック 男子陸上短距離100m走 大方の予想通り、優勝者はジャマイカ代表 ウサイン・セント・レオ・ボルト選手だった。決勝タイムは9秒63。 3年前の世界陸上選手権大会にて同選手が叩き出した人類初となる9.5秒台の世界記録9.5…